高河ゆんについても本気出して考えてみた

id:tasm:20040915#1095263505
こちらで、前回ここで高河ゆんについて挙げた(id:emifuwa:20040913#p4)「自己肯定」をキーワードに書いてくださっているんですけど、私は「高河ゆんの世界の自己肯定=良いこと」だとは思っていなくて、追記でも書いたように、自己肯定というより自己完結、肯定をすることによって閉じているんだと感じているのです。


ただ、tasmさんが例にした「アーシアン」のちはやと影艶は、高河作品には非常に珍しい「自己完結しきれてない」(だから成長もする)キャラなので、tasmさんの解釈はその点アリだと思うんですが、高河ゆんの作品を見通すと、この人たちは稀なケースだとわかるのです。(かなり初期の作品だからというのもある気がします)
なぜ稀なのかというと、「アーシアン」の世界には「同性愛は死罪」というルールがあるからです。だからここには必然的に葛藤が生まれます。
ですが、高河作品の多くは、このようなルールは存在していません。男同士でもあまり躊躇せずやってしまったりもするし(「源氏」の克巳とか)その他、同性愛はもちろん、近親相姦的なエピソードも多々見受けられます。他にも、ありとあらゆる「世間一般と違う」異常な愛情を胸に秘めたキャラクターたちが登場します。
そのどれも「私はこれが大事なのだから、それでいい」というキャラクターの自己肯定、というよりも「自己完結」によってそれ以上の思考を発展させない形になっています。完結して、閉じて、成長しないのです。実際本人はいろいろな葛藤があるでしょうが、それが表に描かれることはあまりない。そして、「自分はこうであるからそれでいい」と表現すること「そのままで良いこと(=成長しない)」は、自分らしく、個性的で、潔いことであると、作品中では魅力的な形で描かれているのです。


サフラン・ゼロ・ビート」に出てくるロボット、カドミウムは主人に忠実であるようプログラミングされており、五百年前に死んだ主人を未だ思い続けています。ですが、それを周囲に同情されると

「だが期待を裏切って悪いがわたしは愛されていたのだ!」

(*手元に原本がないので台詞は細部が違ってるかもしれません)
と、背景に集中線背負って、笑顔で高らかに現在の自分の幸福を宣言します。(こういうタイプの宣言場面は、高河作品に非常に多く見られます)


「妖精事件」に登場するクーフーリンは、最初は敵キャラです。強く、妖精界に影響力を持つキャラクターでありつつもやがて主人公のじゅりあ(人間)を愛するようになり、ずっと傍らで暮らします。
ラスト、じゅりあが王子と門の向こうに行ってしまう時になっても、クーフーリンはまったく動揺しません。

「クーがかわいそう」(じゅりあの娘、メシアの台詞)
「俺は別にかわいそうではない」
「一度だけしか言わないわ だけど本当のことよ
 あなたが好きよクーフーリン 王子がいなければ二番目に好きよ」(じゅりあ)
「そんなものいらない おまえに好かれようと思ったことはない
 ただ俺が好きなだけだ」

 
(王子に「おまえはどうする」と聞かれて)


「行かない 
 これは最後の意地かもしれん
 俺はじゅりあを共有しはしない 決して
 俺のじゅりあは俺だけのものだ 誰にも触れない
 この胸の中にいる
 連れて行くがいい あれはおまえの女だ」
 

 

そうやって愛し続けることは確かに一見美しいし、すごいなあと思うんだけど、じゃあ現実にそれ私らが出来るか?って言えば、できないわけで。


「こういう自分」である自己を抱え、それを貫き通すことは本当はとても難しい。迫害されるし、邪魔される。貫くための努力も成長も要求される。強い葛藤や自己嫌悪も伴う。
だけれども、高河作品では葛藤を前面に押し出さない。苦しみ、悩み、七転八倒したりせず(見えないところではしているのかもしれないが、あまり描かれない)「私はこうなのだ!こうなのだから、それでいいんだ!」と最初から高らかに宣言してしまいます。(もちろんそうじゃないキャラもいるが、最終的にはそこに落ち着く)それは、真の意味での自己肯定ではなく、自己完結。閉じた状態です。逃避であるとも言える。
他者は関係ない、自分はこうなのだから。閉じててもいいんだ、成長しなくてもいいんだ、私はこれが好きなんだから!


「こういう自分でいいんだ!」と自己を肯定し、それを貫き通すことは、本当は凡人にはそうそうできません。他者にとって魅力的な漫画を描ける才能を持ち、長く読者の人気を博している高河ゆん本人は、きっとそれを出来ているのだと思います(もちろん様々な葛藤や苦悩を経て)。だけど、実際そうであることは現実には非常に困難なわけで。



でも、凡人であるところの読者、何もかも思い通りにならない子供、自分が取るに足りないものではないかと怯える自分には、「閉じていても、あなたはあなたなんだからいいんだよ」「成長しなくても、ただ一つ大事なものだけを抱えていれる人が魅力的」と言ってもらえる(ように私には思える)高河作品に癒されるのではないでしょうか。


でも、それではいけないんだと思った時に、高河作品と別れるのかもしれない。


なんだか凄くけなしているみたいだけど、私は高河ゆんのファンなんですよ…
ラブレスも読まなきゃと思いつつ読んでないけど。「恋愛」の新しいやつも、久美の父が美形キャラになったのがショックで流し読みしかしてないけど。
サフランの設定を思い出すために検索してたら、ラブレスの作品説明にたどり着き、物凄い世界だったので目眩がして、やっぱりしばらくは読めそうにないけど…


尾崎南の同人誌を貸してくれた友人は

emifuwaさんが「高河ゆんが好き」と言う同じ理由で、私は高河さんがあんまり好きじゃないのよね。
今まで何が気に食わないんだろうなーラブかねえとは思っていたんだけど。
「主人公の自己肯定ぶり。そのままであることを良しとすること」
これなんだろうなあ。
だからちはやは割と好き(笑)
だから逆に、自己肯定ができない、しようもない、何か変わらなければいけないとあがくキャラに心惹かれるわけで。

と申しておりました。


尾崎南の作品は問題意識を強く揺さぶり、高河ゆんはそれによってささくれた心を癒すのかもしれない。
「変わりたい!でもどうすりゃいいのかわからない!」のが尾崎で
「変わらなくていい!私は私だもん!」が高河?

両者とも、世の中とうまく馴染めない自分、はみだしてしまう自分をどうにかしたくて、自分なりの対処方法を探しているように思えます。



私はどっちも好きです。


追記:

高河ゆんの作品に未完結なものが多いのは、キャラが自己完結しちゃってるからではないかとふと思った。
「源氏」の克巳は自己完結キャラの代表格だと思うんだけど、彼は成長しないでしょう。
「桜ともう一度出会う」っていう大きな目標があるにも関わらずあの話が頓挫しちゃったのは、克巳を成長させられないからじゃないかと。
だって、出会ってまた桜と恋をするために彼が成長する話、じゃないもんね。
出会えばまた恋に落ちることが約束されている=それは江端克巳その人だから、
という話なわけで…


高河ゆん作品にラストがえ…それで終わり?ていう感じのが多いのは、そういう理由からじゃないのかな…と思ったりもします。
自己完結されたまま=読者おいてけぼりなわけだから。



あああと、尾崎についてもまだ書きたいし、id:syana22:20040913にてふれられていた「カリスマ不在」についても気になるー。
尾崎と高河がいた当時は、キャプ翼にしろその後に続くものにしろ、大きなジャンルがあって、あと小さいのがぼちぼちという感じだったから、大きなジャンルの中での大手、カリスマも生まれ得たのでしょう。今はどんなに大手でも、ジャンル違うと名前も知らない、ってのが当たり前だし。ジャンルの数も膨大だし。


私より世代が下の友人が先日の尾崎と高河の話を読んで「なるしまゆり野火ノビタについて考えた」と言ってたんですが、彼女に今話を聞いているところです。私はなるしまゆりに関しては絵さえ思い浮かばないくらい何も知らないし、やおいじゃないということも今回彼女に聞いて初めて知っただよ…(同人出身ならすべからく腐女子という偏見)野火ノビタは商業作品ちらっと、同人作品ちらっと、あとテキストをいくらか読んでるくらい。
今同人出身でメジャーに出ている人と言えばよしながふみ羽海野チカでしょうが、この二人はこの二人で尾崎や高河とはまったく違う感じだよなあ…時代の流れでしょうか。
あと、個人的に好きな浪花愛の作品についても、できれば書きたいところです。この人は尾崎・高河とは大きく年が離れていることもあって、もっとなんというか根源的な、人間が生きていく上での苦しみ、そういうのが作品に漂っていますね(だから尾崎高河と比べてどっちが上だとか下だとかいうことでなく)


腐女子として作品を作る時に、根っ子に「私は世の中になじめないんじゃないか」という恐怖や苦しみがあって、それをどう解決していくかによって作風が分かれるのではないかと思います。
葛藤を叫ぶ人、閉じた楽園を謳歌する人、男同士だとかそうじゃないとかでなく「人間としてどう生きていくか」という方向に行く人。とか。うーん。


他に「この人の作品は特徴的」というような、腐女子がらみ、もしくは同人がらみの描き手さんていらっしゃるのでしょうか(いっぱいいるのかな)とにかく、大手とかにまったく詳しくない私なので、いろいろ勉強していきたいと思います。
同人作品って、読もうと思っても簡単に読めないのが辛いよな。尾崎の同人作品読んだ後に「絶愛」読み返したら、あまりのヌルさにびっくりしました。こんなヌルかったっけ!?と。同人作品の方が遥かに強い叫びですね。


今日は時間切れ!