なるしまゆりはやおいか否か

私、本当になるしまゆり、まったく読んだことがないんです。
でも、世代下の友人(非腐女子)が好きだというのは知ってたし、あとやっぱり違う、若い人で非腐女子なるしまゆりが凄く好きだというのを耳にしていたので、「なるしまゆりは同人出身作家でやおい描きなのに(と何の躊躇もなく思っていた)非腐女子に強い引力を持って作用する描き手さん」という認識でおりました。


じ、実は「少年魔法士」をブックオフかなんかで立ち読みしようとしたことがあった(告白)でも、よく覚えてないんだけど、絵柄がダメだったのか、設定とか世界観がダメだったのか、ほとんど読まずに本棚に戻した覚えが…何がダメだったのかわかりませんがまたチャレンジしてみるか…


で、前述の非腐女子の友人に話を聞いてみた。

なるしまさん、めっちゃ腐女子的ではあるんだよね。
「二つあったら何でも攻めとウケを決めるゲーム」って、
なるしまさんの本のトークで知ったんですよ。
原稿中にみんなでそれをやってる、というような話で。
でも、不思議と、書いてるものは、
いわゆる普通のやおいとは違ったんだよね。
セックスとか一回二回くらいしか読んだ記憶ない。
かといって、いわゆる「ほのぼの」系とも違うものを感じてて。
ただ、代表作(?)の「ピジョンブラッド」はやおい有だったよ。
あと、私ほとんど9割がた幽白の本は持ってるけど、
でも私の読んでない作品の中にはやおいもあったかもしれません。
私、やおいも、ほのぼのもあんま興味なかったんで、
(底にあるものは結局キャラの恋愛だったんで。)
そうではないなるしまさんの世界はとても惹かれるものがありました。
キャラの間に流れてるのは愛なんだけど、
でもなんか、恋愛とかとはまた違ってて。
そしてそれは、幽白に「ゴーン!」とキてたから、
余計に光り輝いて見えたのかも。


野火さんは対照的で、
もう、ガッツガッツやりまくりでね。
でも、なんでかあんまし嫌じゃなかったんだよね。
わたし、蔵飛もともとあんまり好きじゃないのね。
あと、飛影がロリショタぽくされてたり、
蔵馬がなんか安直に鬼畜ぽかったりして嫌だった。
でも野火さんのは、何か、
「なんかもうそういう問題じゃない」みたいな感じがして。


なるしまさんのは、やってない、
野火さんのは、やってる、
でも、共通してるのは、どっちも、
「なんかもうそういう問題じゃない」というところ。
キャラのキスやセックスを描くことにモチーフを置いた作品が多い中、
筋書きがあり、人物に心の動きがあり、
(これが稀有だったんよ!私の見たものの中では。)
作者のバックボーンや造詣の見える、
二人の作品群には非常に惹かれるものがありました。

彼女の話を聞いて思ったのは、「やおい」への認識が私とは違うなーと。
「なんかもうそういう問題じゃない」という感覚は、私はやおいの魅力の一部だと思うんですよ(実際それがなるしまさんの作品に当てはまるかどうかはともかくとして)
でも確かに、やおいという語の解釈は人によって違うし、
腐女子間でも「私はあれはやおいだと思うけど、あの人はあれはやおいじゃないと思うって」
ということは良くあります。
人によって何に萌えるのか千差万別というのとも近い気がする。


あと「やおいじゃない」っていうのが誉め言葉として成立する状況というのも。
私は「やおいじゃない」というのは「単なるジャンル違い」であって
別にそれで誉めてるという認識は無いのですが、
例えば、受けを女子に置き換えても何ら問題ないような、少女漫画のおいしいとこどりみたいなライトなボーイズラブだったら、「これはやおいじゃない(誉めてない)」と表現することもあると思う。あ、実際はやおいじゃないというより「愛とか、情熱ってもんが、足りねえんだよ!」みたいな感じかなあ。でもそれはあくまで、私の中の感覚で、他人にも無条件で通用するものではないですよね。



彼女にこのメールをもらった後聞いたら

やおいじゃない、っていうと語弊があるなあと思ってた。
でも、なにがやおいで、とか、どこまではありで、とかは人によって違うじゃん。なので、なるしまさんの作品についての文脈では、同人で昔よく見た「やおい有り注意」的な、具体的に性行為描写がある(それを志向してる)、ない(してない)という意味合いで私は使っていました。
説明が足りずすみません。
「そういう問題じゃない、っていうのはやおいの魅力だ」というのは私はあんまり分からないです。
そういうやおいもある、というのは分かるけど。「やおい」という語の解釈が違うのかも分からないけど。

という返事をいただきました。


あと他の方のご意見(こちらを拝見したので今回のを書く気になった)
http://www.mypress.jp/v2_writers/syobou/story/?story_id=663034


竹宮恵子やおいか、ということについても触れていらっしゃいますが、私は竹宮恵子こそはやおいのパイオニアの一人であると思っていました。(ただ、後継者がいない)
で、竹宮さんの言うように「男同士に限るものではない」という認識が私にもあります。
中島梓の「小説道場」を読んでいると、よくそういう表現出てきましたよね。これは男同士じゃないけどそうだとか、これは男同士だけどこの人の書きたいものはやおいじゃないよね(ジュネじゃない、だっけか?)とか。
だから、私の中では「やおい=男同士」ではないのです。



ただし、やおいという言葉を世間一般の意味(男同士)で使うこともあります。その時は、自分で使う時もやや揶揄や自嘲を含めた表現になっている気が。


というか、最近やおいという表現をめっきり使わなくなりましたよ。
萌えという単語は便利ですよね。自分ではあまり使わないようにしていたのですが、外部にわかりやすく説明するために「萌えだから」というように使うことはあります。
私自身は「萌えより燃えだろ!」と思っているのですが…


なるしまゆりの場合は「やおい的要素も作者の中に色濃く持ちつつ、やおい以外の点で読者にアピールできる(もしくはやおい要素を一般への共感ももたらす形で料理できる)」ということなのでしょうか。
作者の表に出てくる部分が普遍的かそうじゃないか?


腐女子から見れば「この人の(腐女子な自分から見て)やおい的なところが好きで魅力」
であっても、
腐女子から見れば「この人の(腐女子でない自分から見て)やおいじゃないところが魅力」
であったりするわけで。
腐女子の方に「あれはやおいじゃない(から私は好き)」と言われると、え、それ私の中ではバリバリやおいなんですけど?ってこともままあると思うんですが、「やおい」というものをどう捉えているかと、あとは個人差、個人の好み、なのでしょう。
私は「やおいじゃない」と言われれば、そう分類するだけの理由が(男同士である・ないという以外にも)あるのでそう言っているのだと感じますが、それが全ての人に通用するわけではないですよね。当たり前ではあるんですが。


私は、やおいの根本的な魅力というのは、性別や世代関係なく、ある種の人には通用する普遍的なものだと思っているのです。だから、男性でやおいを好む人がいても不思議でもなんでもなくて、むしろ何を今更という感覚が。
うーんちょっと風呂敷を広げすぎたかな。今日はこの辺で畳んでおきます。