二枚のレンズを持つ者

上の続き。
でも、それがよくわかんなくなっちゃう気持ちもわかる。わかるのです。
1976年生まれの私が初めて本屋の片隅で同人アンソロを買ったのは小5(小6かも)の時。まだ仲間を見つける手だても少なく、普通の少女漫画を読む友達の中で、こんなのが面白い私はおかしいのかも、と思っておりました。誰もが一度は通る道です。

キャプテン翼聖闘士星矢サムライトルーパー、どんどん腐女子の数は増えて、アンソロの種類も増えて、だんだんと本屋の棚を侵食しはじめました。ビーボーイが創刊されたのはいつだったのかなー。表紙が江ノ本瞳だったのをよく覚えています。
いつのまにか本屋にはボーイズラブ専門の棚が出来てました。腐女子なのに、やたらボーイズを強化している本屋は足が遠のいたりして。あられもない表紙が平積みになっているところから、未だに目をそらし気味。その脇には、ジャンプの漫画の同人アンソロジーがズラリ。華やかでセンスのいい表紙のそれらを目にする度に、同人なんてカケラも知らない、小学生や中学生のワンピやナルト好きの男の子が買っちゃったらどうすんだろ、と思います。


私より世代が下の腐女子腐女子という呼称が普及したのもごく最近ですよね。せいぜいここ四五年じゃないかなあ)は、もうアンソロ平積みは当たり前、ボーイズラブの棚があるのは当たり前の時間を過ごして来たんですよね。そりゃあ、認識違って当たり前でしょう。
自分たちの中から自然発生的にどうしようもない衝動や焦燥が生まれて、それを、どうにもならないから男同士、パロディという形で昇華(というと語弊があるかもしれないが)してきた世代と、もともとそれが周囲にあって、パターンも各種取り揃えてあって、自分の好みに合致するものをお好きに選べて、ネットでキーワード検索一発発見、みたいな世代と、認識の差があるのは当然。
私の時でさえキャプテン翼ブームはもうかなり盛り上がっていたから、割に普通に同人誌があった頃だったと思います。でも、今みたいにボーイズラブ雑誌がたくさんあるような状況になるとは、当時は夢にも思いませんでした。ずっと日陰の、一部の、マニアの趣味なんだろうと思っていました。
今でも本当はそうなんだろうと考えています。ただ、人数がもの凄く増えただけで。


人数が増え、腐女子をターゲットにすることがマーケティングに加わり、「そこにないものを見ようとする」腐女子的視点は、多くの人が気軽に選択できる娯楽のひとつになったように思います。それに重きを置くのも自由、ただライトにちょっと毛色の違ったロマンスを楽しむのも自由。捨てていくのも大事にするのも気軽に消費するのも、自由です。


私の考えるところでは、腐女子とは二枚のレンズを持つ者です。一枚は、一般人と同じふつうのレンズ。これで原作を読みます。普通に楽しみます。すごいなあ、面白いなあ。とか思います。素直に感動したり、時には批判したりもします。
二枚目が、ゆがんだレンズ。ここには、その人の中のいろいろなものでレンズの表面が微妙にゆがんでいます。受け、とか攻め、とか映っているのが見えます。妄想が加速します。
ゆがんだレンズがなければ腐女子でないのですが、ゆがんだレンズだけでは、あまりに貧しく幅の狭い、限定された視点での読書をすることになってしまいます。
「オレはお前がスキだよ!」「オレもっ 阿部君がスキだ!!」(『おおきく振りかぶって』より)という会話の一部を取り出し、腐女子思考で楽しむのもいいでしょう。でも、それだけではおお振りの魅力を楽しみ尽くすことはできません。
腐女子レンズしか持たない人は、二次創作をするにしても、表現する作品世界に限界があると思います。また読み専であっても、腐女子レンズしか持たない人は、腐女子的二次創作の魅力の全てを楽しみ尽くすことは出来ない、と私は考えています。二枚のレンズがあってこそ、腐女子は楽しいのです。
だって、大好きな素晴らしい原作を、一粒で二度楽しめるのが腐女子なのです。ただそこにあるだけで面白い原作を、更にもう一個の視点で楽しめる。リーズナブルかつエコライフ。腐女子はいつでも自給自足です。


ですが、忘れてはいけないのは、腐女子的視点というのはあくまで世間から見て二次、三次、それ以外の視点であって、腐女子的視点が存在することによって、おおもとの作品の正しい理解が脅かされるようなことがあっては、いかんのですよ。
腐女子的視点」は「意図的な誤読」なのですから。
二次創作同人における腐女子的視点は、原作があることによって成立しているごく狭い範囲での好事家の世界です。原作がなければ、萌えれません。原作がなければ、腐女子はそこには存在しないのです。


しかし、同人をやる人が増え、人気作家も増え、魅力的な同人作品が生まれてくると「原作を知らずに同人誌、同人サイトやってる。読んでる」という人も増えます。
ちょっと信じられませんが、テニプリをコンテンツに置いているサイトの管理人さんが「単行本一冊しか持ってないけど(買うつもりもない)」と発言していたのを見たことがあります。え、テニプリって、それなりに巻数重ねてるよね?かなりの衝撃でした。
そういう人は、原作を普通に読む一枚目のレンズがありません。腐女子レンズだけで萌えを育成することになります。
原作はそんなに好きってわけでもないけど、キャラ萌えでサイトやってる。あの作家さんの描く●●×□□が好きだからやってる。
気持ちは分かります。私もそういうきっかけのハマり方をしたことがあります。作品が好きというよりも、△△さんの描く●●×□□が良すぎて…ということ、ままあると思うんです。
でも、実際自分で(それほど好きでもないのに)同人活動をしようとすると、盛り上がっている時はいいのですが、萌えが供給されなくなると途端に飽きたりしてしまいます。また、同人活動でイヤなことがあったりすると、面白いほど簡単に萌えが萎みます。
原作への(腐女子レンズを通さない)愛があれば、「でも、私はこれが好きだもん!好きでやってんだもん!」と復活もできるんですけど、腐女子レンズのみの萌えだと、いざという時の踏ん張りがきかない。萌えにも耐性がないのです。芯が通っていない状態と言いましょうか。
二枚のレンズを持っていない人は、腐女子としての萌えすらも継続することが出来ないのです。


でも、これだけ同人作品やボーイズラブ作品が増えてきてしまうと、「それしか読んだことない」「普通の漫画はジャンプ系くらいしか読まないけど、同人誌はいっぱい買う。読む」という層も確実に増えて来ていると思います。特に小説は「普通の小説はまったく読まない。読んだことがない。でも同人二次創作テキストは好んで読む。ボーイズラブ(この場合二次創作でないオリジナル作品を指す)も読む」という方を、少なからずお見かけしたことがあります。
それが悪いというのではなく、やはり同人誌や二次創作が身近にある状態でオタになった世代と、そうでない世代とは、認識にかなりの齟齬が生じてしまうのは、仕方のないことなのだと思います。
逆に、年が若くてもオタスピリッツ満載の方もいれば、私たちより上の世代でも娯楽として萌えを消費できればいい、という方もいらっしゃるでしょう。最終的には個人差なのでしょうが、置かれた状況の差による世代間の温度差はどうしてもあると思います。


あとそう一つ思った、
百戦錬磨の、酸いも甘いも噛み分けたような、生え抜きの腐女子(どんなだ)が、日記で
「●●見た。とりあえず▲▲は受け決定」
と、どんな些末なことでもカップリングや攻め受けを決定するような態度を取るのは
ある種の自嘲であったり、腐女子である自分をネタにして楽しんでいるのであったり、実際それほどそうは思ってなくても腐女子のたしなみとしてとりあえず攻め受け認定しときますか、的な態度、言うなればポーズであることが多いと思うのですが、
尊敬する同人作家さんが日記でそんなことを書いていると、年若い世代が「この人は本気でこう思っている」と考えてしまっても仕方が無いところもあるかなと…
いや、たぶんその人は本気でもあるんですけど!でも、それが外部にも通用すると思われてしまっては!困るわけで!
あの素晴らしい作品(二次創作)を描いている人もこんなことを普段から考えている=それでいい、それがカッコいい
とかになっていることも、もしかしたらあるのかなと…少し思いました次第です。
つまりあれだ、「締め切り近くて寝てないー」と呟いてみるのがカッコいいとか、同人ごっこ、作家ごっこをしてみたい女の子ちゃんたちに憧れを抱かせる対象としての「腐女子ポーズ」というのがあるんじゃないでしょうか。
腐女子」であることが「他人と違う自分」を演出するための一要素であったり。
そんなことをしなくても、誰とも語り合わなくても、腐女子腐女子以外の何者でもないんですけどね。
自分が、まごうことなき、卒業することのない永遠の腐女子であることは、もうなんつか、ネタにしなきゃやってらんねえんだよと思う卒業できない1976腐女子であります。


腐女子であることって、本当に、自慢にはまったくならないです。
変態ですもの!お天道様に顔向けできない、一般人から見たらキモいだけの、原作を自分の欲望のために誤読して夜な夜な楽しんでいる、気味の悪い人です。他人に説明しても、理解してもらえない自信あります。自覚してます。
でも、自分で選んだ道です。普通の生活を犠牲にしても、お盆に休み取るのにイヤな顔されても、自分の責任で自分が選んだ道です。
楽しくてしょうがないです。やめられない止める気ないです。


だからこそ、自分の欲望は、自分の責任で楽しむ。関係のない他人(=普通の読者)を巻き込まない。腐女子視点を押し付けない。
他の人は違うかもしれませんが、私の考える武腐(もののふ)の心意気は、そんな感じです。