ドリを歩いて


ドリーム小説の世界に、ダイブしてみました。
ドリーム小説に関する、一番初めの記事はhttp://d.hatena.ne.jp/emifuwa/20040729
初めて来た方は、あと適当にたどってください(ごめん)
たどらなくても読めると思いますんでたどらなくてもいいでーす



私+三人の友人(全員ドリーム小説にほとんどふれたことがない)に、同じドリームサイト(ジャンルばらばら、複数)をまわってもらい、それぞれに感想を聞かせてもらいました。サイトの選び方は、Aが集めてきたものと、ドリを愛好している方に教えていただいたおすすめサイト(=レベルが高いと思われる)です。教えていただいた某さん、ありがとうございます。この記事をもって感想とさせていただきます。

四人のメンバー内訳は

emifuwa:二十代後半、バリバリ腐女子カップリングもの二次創作サイト持ち。

A:二十代前半、腐女子ではない。カップリングものの二次創作を書いたことがない(男女ものはアリ)
B:三十代後半、腐女子と言い切るのは難しいがカップリングもの二次創作サイト持ち。
C:emifuwaと同じ年。腐女子カップリングもの二次創作サイト持ち。ドリーム小説は苦手であり、恐怖に近いものを感じている。


この四名の中で一番ドリームに親和性を見せたのは、腐女子でないAでした。一番ダメだったのはB。私とCは「基本的には合わないが、わかるところもないでもない」で同じくらい、で、気になったサイトも同じでした。(単に好みが似てるだけかも)

まず、ドリというものに対して感じた雑感をおのおののメールから。

Aの意見

(一通目)

ドリームは多分、書いてる人が一番楽しいんだろうね!
私はキャラ激愛型だし、お話に入り込みたがりだから、
それはとってもとってもよく分るよ。
でも、私は、ドリームは、書いたら楽しいだろうけど、
恥ずかしくてとても見せれない、という感じです。
そして、見せれるドリーム小説を書くのは、
とっても難しいと思う!
これについて書くと凄く長くなりそうであれですが、
読む方については、とっても面白い、ちゃんと文章になってて
アナクロなラブとかじゃないハイレベルなものなら、
わりと「どんとこいドリーム小説」だと思います。
(そんなドリーム小説がもしあれば。)
ドリームだから、面白いけどダメ、にはならないと思います。
オリキャラヒロインだったら、もしかしてダメかも)
たぶん、何が嫌かというと、
つまんないとか安直だとか夢見がちっぷり乙女っぷりに
ついていけない、というところで、ドリームを嫌がってるんだな、
と思いました。
今日サイト回ってみて、
面白いドリーム書いてみたいな!と思ったけど、
実際書くのってとっても難しそうね!!

(二通目)


(あるドリームサイトの妄想の方向性が、自分の燃え方と近いという話ののち)

今まで、そういう自分×キャラな妄想を持っている私には、
それを書き表そうとするとき、どう出せばいいのかが
すごく難しくて悩んでいました。
原作の世界内のキャラに託すか、
またはオリキャラを出すか、
でも私にはそのどっちもしっくりとは来なくて
いつも苦悶していたように思います。
オリキャラは、読む人に歓迎されないだろう、面白くないだろう、
という思いや、別キャラを捏造するのは不自然だという思いから採用せず、
原作のキャラに託す方向については、
「でも、このキャラは、こうじゃない」という現実感が強く自分の中にあり、
(このキャラはこういう人じゃないだろう、というのと、
このキャラは自分じゃないしなあ、というのと。)
自分の感覚を偽ることが出来ず、採用しませんでした。

しかし、ドリという形は、
ドリという前提に立ち、「妄想ですよ!」ということを
全面に押し出すことで、
原作の縛りから、ある程度想像を自由にさせる効力があると思いました。
少なくとも、私は、自分にとってのネックが、
ドリという形でならある程度解決するかもと思いました。
カップリングで書くよりも、
私にとってはドリの方が親和性が高いと思います。
単に形式の点で言えば。

ドリって読んでいて深みがないというか、残らない印象。
作品、として希薄な印象です。
そのときは楽しいけど、「面白かった〜」で終わってしまう。
ドリは、自分をその中に入れて楽しむテーマパークだと思います。

ドリ小散歩をして(五木寛之か)思ったのは、
ドリには二つの方向があり、
一つは、自分とキャラの妄想をとことん追求する方向で、
たとえ名前を入力させていても、書いているときは私×○○。
私とあなたの愛を追求することが根底にあり、
うんと自己の混入した、
他人の楽しみよりも自分の中にあるものを追求する方向。
もう一つは、
そのキャラと「あなた」のミラクルテーマパークを提供する方向です。
キャラ描写に贅をつくし、
名前を入力する「あなた」キャラの描写には、
できるだけ皆が感情を入れられるよう工夫する。
発言や行動に関しても、選ぶ言葉に気を遣い、
違和感をもたれないようにする。
ある意味では自分の妄想は脇におき、自己の突出を抑え、
読む人にとって楽しい作品、を追求する方向です。
デスノドリを読んでいて、私が、
もし自分が書くならやってみたいなーと思ったのは、
こういう方向でした。

でも書くとなったらとっても難しいけど!!

ドリを読んでいて、なんだか、煮え切らないなあ、と思ったのです。
「折角ドリなんだから、もっと、振り切れようよ!」と感じました。
私だったらこうしてこうしてこうするのに〜
とか思って。
私は書くなら上の一つ目じゃなくて、
二つ目の方向に意欲を感じましたが、
上の一つ目の方向でも、
個人の妄想が突っ込んでる方が、
「読む物」としてはとても面白かったです。
一型のドリにはもっと吹っ切れて
「俺とお前の人生劇場」を
是非もっと追求してほしいと(勝手に)思いました。
自分ではそれは出来ないだけに、勝手な言い草なのですが。

Aの分け方が上手いな、と思ったのでそのまま使いますが
ドリーム小説、読んだ印象でタイプ分けするとこんな感じです。

1 自分とキャラの妄想をとことん追求するタイプ。他人(読者)が感情移入しやすいかよりも、自分の妄想に耽溺することを好む。設定なども偏っていることが多く、容易に感情移入しがたいこともある。「なんだこりゃ」と思うことも多いが、ハマると「あー…」となる。ドリーム作者と同じ傾向の萌えを読者が持っている場合は幸運な出会いになる。
妄想の度合いが濃いほど個性的になり、薄いとドラマや少女漫画をなぞっただけの無個性なものになるきらいがある。

2 自分の妄想より、読者が楽しめるかを優先するタイプ。原作に忠実であったり、主人公に感情移入をしやすいよう工夫がこらされていたりと芸が細かい。妄想を楽しむというよりは、原作の世界観を楽しむファンフィクション的色合いが濃い。


ドリーム小説を知らない多くの人の持つイメージでは、1のタイプが=ドリーム小説なんじゃないかと思うのですがどうでしょう。
まわった中でも、やはりこのタイプが一番多かったです。


ただ少女漫画やドラマをなぞっただけの薄味な作品だと「つまんない」と思ってしまうのは仕方ないと思うんですが、中には非常に個性的な妄想を育てているサイトもあって、「こういうのもドリーム小説なんだ!」と驚きました。
「そんなんアリか?」みたいな設定をいくつも見ていくと、「ドリームって結構なんでも出来るんだな、なんでもしていいんだな」と、意外な自由度を発見しました。
実際それが読者に受け入れられるかどうかはともかくとして、…いや、もともと読者の視点なんて意識してんのか?みたいな設定の数々。
でもなんていうか…好みかどうかはともかくとして、そういうのの方が、読んでいて面白くはありますね。
どうせやるなら吹っ切れていてほしい。もう好き勝手やりたい放題やって、サイトの個性が出ているものの方が、私は好ましく思えます。



次に、一番激しい拒否反応を示したBの感想。

(Aのドリへの「とっても面白い、ちゃんと文章になっててアナクロなラブとかじゃないハイレベルなものなら、
わりと『どんとこいドリーム小説』だと思います」という意見を受けて)


私は逆に、読んでみて、「ドリーム小説は自分には向かない。全然ダメ」ということがわかりました。
私が思ったのは結局、名前に何を入れようとその主人公は「ただのオリキャラじゃん」てことです。
自分の名前でもそれが自分だとは思えるほど感情移入できないし、そもそも思おうとするのが気持ち悪い(笑)
二次創作で、話の根本に関わるオリキャラがダメなのと同じ理由でダメです。
原作には、その作品内でのコトワリってものがあるじゃないですか。
(作家に都合のいい)オリキャラを出してきて、原作のキャラにそのコトワリを破らせる(恋したり、成長しちゃったりする)のが大変安直に思えるし、とにかく「作品内の世界」が「現実の世界」に侵食されるのが我慢できないようです。

そもそも私のする妄想は、あくまで作品内の世界のコトワリをいかに追求して自分勝手な話を作るかということなので、ここまでいっちゃうと、読むだけでも拒絶反応があります。
もちろん、ドリでない二次創作でもヘボいのはそうなんだけどさ…。
キャラをこういう風に出してしまうと、「一線越えちゃった」て感じで。
女性化もそうだけど、私の「越えてはならない一線」はその辺にあるのね。

現実と違って、作品に対して読者はある意味、神の位置にいるわけじゃん。
キャラの頭の中が読めるところにいるんですよね。
つまり読者は、最初からそのキャラの(普通では立ち入れない)心性に侵食してるのに、そこへ自分(というキャラ)が押し入って、その人たちに何か影響を与えようっていうのは…ううーん。どうしてもだめだなあ(笑)

逆に妄想できてそれを書くのが心地よい、って人は、作品世界の確固たるコトワリにはあまり反応しないのかもしれないですね。
キャラ萌えの極致みたいなものなのかな。

(二通目)

Aさんのメールを読んで、やっぱりドリが受け入れられるかどうかっていう
のは、世代的な差が大きいんじゃないかと思いました。
あと、びっくりしたのは、

> 今まで、そういう自分×キャラな妄想を持っている私には、

この部分。これって非オタクな傾向だよね?
オタクにとっては、「自分」ていうのはもっと奥にある存在っていう気がする。
この自分×キャラ妄想っていうのは、非常に一般的なものだと思うのね。
でも、それで何か書こうというのは、普通の人には思いつかないというか…
手法がなかったというか。(コスはその手法の一形態なのかな?)

とにかく、私とAさんでは、漫画のみならず創作一般に対するスタンスとか、
世界観が違うんだと思いました。面白!!

やはり、A(腐女子でない)とB、C、emifuwa(おおむね腐女子=作中のキャラクターに自分の妄想を仮託)との決定的な差は「自分自身がが原作の中に入るのが嫌、違和感がある」という点ですね。


Cは、最初に私がドリについてここに書いた時に、以下のようなメールをくれた人です。(この時点では彼女はドリサイトをほとんど回ってません)

ドリームは私も前々から気になる存在でした。
自分の名前を登録して読む、と知ったときに、無理!無理!すみません、絶対むり
です!
と激しく拒否反応が出て、それ以来『恐ろしい世界だ…』くらいの気持ちでいま
す。

まったく私が腐女子として求めているものと、正反対な世界だ。危険だ。という印象。
で、なんでこんなに恐ろしいんだろう、と考えてみたんですが。
私にとっての腐女子活動、二次創作をもーそーする、ということは
女であり、まわり(親)から圧力をかけられて、自分の言葉をろくに外に出せない『現実の私』がまずいて。
自分とは全然違う世界で、男で、相手の男と対等にやりあっている、『自分ではな
い彼ら』を妄想することで、
快感を得て、感情の自由を得るように思います。
そここそ、自分の言葉を、いつもは怖くて口にも出せない感情を、叫び、ぶつけ、表現できる場所のように思うんです。
なにもかも自分じゃないからこそ、自分が出せるというか。

それに対して、ドリーム小説は、別の世界の中に、なにもできない『現実の私』のまま飛び込め!と言われているようで、
それは怖いです。全力で逃げます。
しかも、すでに物語の枠が出来ている中に、自分の名前を入力するなんて、よけい自分の意思も感情も介入する余地はないです。
自分がまったく存在できない世界。自分の意思を消して、流れにまかせるだけの世界。
それは、二次創作をするってことで、一番逃げ出したかった所なんじゃないの?と思うんです。

なので、個人的には、腐女子ドリーム小説を熱心に読んで、はまってる、という人は殆どいないんじゃないか、と思ってます。
あまり、はやってるドリーム小説サイトもみたことないし、ってそういい切れる程ドリーム小説サイトを知ってるわけじゃないですが
(というか一度も読んだことないんです…こわい)
もしいるとして、どういう層が読者として存在しているのか、気になるところではあります。

あと、気になるのが、あれを読む側じゃなくて、書く人のことです。
ドリーム小説って書く側として考えると、私×スネ夫、と思って書くのとは違う気がします。
私×スネ夫だと、『私=自分自身』で、『私』には性格も顔も癖もはっきりあるんだけど、
『自分ではない、大勢のみなさん』×スネちゃま、として三人称で書くわけじゃないですか。
そう考えると骨川×『自分ではない彼』という二次創作と似ているような気がしますが……でも絶対違う。
まだうまくまとまらないけど、なんか違う、というか一緒にされたくないというか。

ただその架空の世界の中で、ちやほやされたり、お姫様扱いされて、なにがあるわけでもなく、
なにが言いたい伝えたいわけでもなく。むしろそんなのしんどいから考えたくない、みたいな。
って偏見かな?(汗)
でも、そんな印象があります。
なので個人的にはドリーム作家さんを腐女子というのは、なんか違和感があります。
腐女子ってのは、もっとこう、燃えて譲れないものが!あるはずだろう!というか。

世代的なものなのかな?と最近よく思います。
今やってるジャンルが、メインが中学高校生で、大学生くらいの人のサイトが比較的
しっかりしたサイトで大手、みたいな感じなんですが。
なんというか、受がやたら女の子っぽいんですよ。
セーラー服とかメイド服とかやたら女装して、それに「かわいいvv」と攻がめろめ
ろ、みたいな話がめっちゃ多い!
攻めはとにかく受がかわいくてしょうがなくて、独占したがって、わがままにも甘や
かしまくり。あまあまラブラブ
好きなキャラでそれやられると、マジしょんぼり…

正直骨川の例えはどうかと思いますが(もう少し違う名前使いなさい!笑)ドリーム小説を一度も読んだことがない(たぶん実際は一回くらい試したことがあるんじゃないかと思うんですが。そうじゃなきゃ全然わかんないもんね)時点で、「自分の名前を登録する」というところに激しく拒否反応を示すC。


彼女の、ドリサイトを回った感想はこんな感じでした。

(この時点ではCはデスノドリサイトしか回っていないので例えにデスノが出てきます)

ドリサイトありがとうございました。
面白く、というか興味深く読みました。

結論的に、私はやっぱり、ドリはむりみたいです。にゃーん。
自分の名前入れてみたんですが、どうも話に入れない、というかむしろ引いてしまって。
自分の名前を入力しないで、初期設定の名前のままのほうが、まだ読めました。月に「●●(Cのハンドル)」とか言われると、「ひー!!」
ごめんなさいごめんなさい。みたいな気持ちです。

でも、ドリをやる気持ちはわかる!キャラと恋愛って、やりたいこともわかる!
わかるけど、私には合わないんだなーと改めて思いました。
うーん、
なにがこんなに合わないんだろう、と昨日から考えてました。

たとえば、月がヒロインの女の子のことが好きになって、「デスノートを拾う前に、ヒロインと出会えていたら…」ということを確か別の話で二回くらい言われたんですが、それってもう月じゃないじゃん!というか、漫画の中のライトって絶対そんなこと考える人じゃないですよね。
Lは私、単行本で読んでるんで、まだよくどんな人かわからないんですが、確かに独特のいいまわしとかで、月より『Lらしさ』が出るんだなと感じました。その原作と同じ『Lらしさ』には萌えるんですが、Lが自分と一緒にいて、私に何か話しかけてくれる、というところでは、ほとんど萌えないんです。

 今回ドリを読んで感じたのは、自分がこの現実世界とは違う、原作世界に逃避する、というよりも、原作世界を自分の方に引き寄せて、こちらがわにつなげてしまう、というかんじなのかな、ということです。
 漫画の中の、ライトの隣の席に私がいるのを想像する、というより、「私の」隣の席に夜神くんがいる。というか。自分とキャラクターが地続きの世界に存在しているかんじ。

 私は、逆に原作世界は閉じていてほしいんです。閉じているからこそ、その世界にリアルを感じる。
 同じキャラクター萌えではあるんだけど、「ヒカルの碁」なんかで例えるなら
 ヒカルには厳しい棋士としての道をまっすぐ進んで、ライバルがいて、友達がいて、家族がいて、というヒカ碁の世界の関係性の中にいる、進藤ヒカルに愛を感じるんであって、

 
 私、やっと今年プロテストに合格したの。プロになってから日本棋院に入るのは今日がはじめて。ゆっくり吐き出した息がすこしふるえる。いままでとは気合が違う。がんばらなくちゃ。きゃっ(ぶつかる)「あっ進藤先生」


 とかいってヒカルと運命的に(笑)出会っても、ヒカルに恋愛感情は持てないんですよ。萌えない。ときめかない。私が好きなのは私といるヒカルじゃなくて、原作世界の中でがんばって生きている進藤ヒカルなんです。


私と出会って、私に恋をする(おそろしいよう…)というのは、オリジナルキャラを出すのと同じような印象で、
私の好きな原作の世界とは別の世界になってしまう。とたんにキャラのリアルさがなくなる感じがします。ライトって、漫画のキャラじゃん。みたいな気分になってしまう。
 あのデスノの世界でのありあまる存在感、キラ様が、ドリに登場させると(というか対自分となると)同じクラスの、隣の席の男の子!ですもんなあ。
 物語世界は閉じていてほしい。その世界でリアルに生きるキャラに萌える。これが、私にはドリが合わないと思う原因だと思いました。
 たぶん、どんなに感情移入できて、原作世界を損なわなくて、そのヒロインが物語の構成に必要で自然な存在で、ハイレヴェルな出来のドリでも、自分の名前を入れて読むのはつらいなーと思います。
 初期設定の名前で読むぶんには大丈夫。読んでみたい。
 けど、これだと読む側からするとドリじゃなくて、二次創作として読むかんじになりますね(^^;)

私とC(Bは言わずもがな)に共通する、ドリへ感じる一番大きな抵抗は「自分の名前を入れる」という部分です。
自分「私」を原作との位置関係のどこに置くか。それがドリーム小説を好む人とそうでない人の一番の違いかもしれません。