デスノドリを書いてみて


私、emifuwaは今回ドリサイトを回るにあたって、一度も自分の名前を入れませんでした…へ、へたれですいません…

無理!ムリムリムリ!!

名前を入れなければ先に進めないところは、本棚を見て目についた作者の名前を二つ組み合わせて入れたりと必死。それ以外は全部デフォルトで。
だ、だって、ムリ!無理ですよ!


どうして自分の名前を入れるのが嫌なのか、それは結局、Bの言うように
「(作家に都合のいい)オリキャラを出してきて、原作のキャラにそのコトワリを破らせる(恋したり、成長しちゃったりする)のが大変安直に思える」

「『作品内の世界』が『現実の世界』に侵食されるのが我慢できない」

のですね。
これはドリじゃない二次創作を読んでいても同じことで、二次創作に突然オリジナルキャラが出てきて、その相手に、しっかりした理由づけもなく作品内のキャラクターが惚れたりしたら「なんだこれ」と思うのと一緒で…


私は先日デスノドリを書いてみたわけですが(http://d.hatena.ne.jp/emifuwa/20040809#p1)、この、自分の書いたドリーム小説(のようなもの)でさえ、自分の名前を入れるのは物凄く抵抗があります。ていうか入れられないです。そのくらいダメ。


私の中の、私が好きで熱心に読んでいるデスノートの作品世界の中の夜神月やLは、私に惚れたりしないわけですよ。絶対。
「だって架空の人物じゃん」と凄く思う自分がいます。二次創作の中で、局長や、ナオミ、レイ、松田、紗裕、まー誰でもいいんですが、彼ら彼女らに月やLが心動かされるのはいい。でも、「私」に関わることってあり得ないじゃん!
ドリーム小説の中における「私」は、私の中のデスノートの世界を壊す異分子であって、その「私」が月やLの内面を大きく動かす(=恋をしたりとか)ことは、私にとっては非常に不快なことなんですね。

で、「私は、私によって大きく内面を動かされる月やLを見たくない」という思いから生まれたのが先日のデスノドリーム小説なのです。
苦肉の策、といいますか、主人公の*ちゃんは、彼女それ自体によって月やLの内面を大きく動かすことはなく、恋に落ちることもなく、あくまで第三者、傍観の対象として存在します。
たぶんこの後彼女が月やLと関わりを持つことはないでしょう。友達に「有名人とニアミス」した体験を面白おかしく語って楽しむだけです。
月もLも、「*との会話でこういうことがあった」ということを、互いの性格や反応を測る物差しの一つとしてデータに入れていたとしても、*本人に対して何ら個人的な感情は抱いていません。彼ら「デスノート」の世界の住人にとっては、*はモブキャラクターに過ぎないのです。
ドリーム小説としての妄想の形は「月をいじって楽しみたい。Lが協力してくれたら面白い」なのですが、
書いたあとに、私がデスノートを二次創作対象として選ぶなら、真に書きたいことというのは「この後の話」だなあーと痛切に思いました。


*ちゃんの出てこない、*ちゃんのことは「こういうことがあった」という事象に変換された「ドリーム小説」でない話。
ああいうことがあった後の月の内面、Lとの会話、双方の思惑、書くのならそういうことを書きたいのだと。あのドリーム小説はわたしにとっては本文でなく「外伝」、月とLにこういう出来事があった時、その場にいた女の子は実はこんなことを考えてましたよー的なおまけの作品でしかないのですね。
書いている私自身が「二人の内面を*によって動かしたくない」と思って書いているため、*ちゃんの視点や二人に対する評価は非常に表層的です。容姿、喋り方、雰囲気、ステイタス(外国語が喋れるとか)、もちろんそれらは夜神月とLを構成する重要な要素ではありますが、私が仮に自分の二次創作をデスノでやるとしたら、書きたいのはそこじゃない。二人について、二人の魅力だと思っているのはそこじゃないんだと、あらためて思いました。
特にあの場は第三者の目があることもあって、お互いに自分の真の表情を出していません。あくまで外の顔がメインです。*ちゃんはそこだけを見て、二人を解釈しています。これは、私の中の「内面に関わることが出来ない」という縛りから生まれた作品の限界です。
月の芝居じみた言動を面白おかしく書いても、Lの奇妙な風体をそれっぽく書いても、私の書きたいのはそこから更に一歩踏み込んだ二人の魅力であって、それはあのデスノドリではまったく書けていません。月は外面のいい嫌なやつ、Lは飄々としたとらえどころのない人、その程度です。
読者は実際の月とLの内面を原作で知っていますから、おのおのに補完して読むと思いますが、それだと「私emifuwaは、こういう月を、Lを魅力的に思う」(それは多くの読者とは異なるかもしれないが、私はこう思う)という「私らしさ」、emifuwaなりのデスノートに対するアプローチが作品に出せないのですね。だから非常に欲求不満がたまる。
だって、Lが*ちゃんの目論見に気づいて協力してあげて、意外と話のわかる奴じゃん!Lも月くんをからかうのは面白いですねで終了、じゃそれ、Lじゃないじゃん!(私にとって)
月にムカついてる女の子に協力したりなんかして、一見「自分のとこまで降りてきた」っぽいLが、実際はあの頭の中で何を考えてるのか、それが一番Lの魅力を出せる部分だと、私は思うのです。
あー、「私」さえいなければ、もっと二人の内面を(私が魅力だと思う風に)ガンガン飛ばして書けるのにな!と思ってしまって仕方ありませんでした。
月の魅力もLの魅力も、本当はこんなもんじゃない!それが、私のドリーム小説の縛りの中では、どうしても書けない!
「私」のいるところでは「私の書きたいもの」は書けない。それが結論です。


ですが、書いている時楽しかったというのは本当です。書いた後には「これじゃないよなあ…」という感じは凄くしたんですが、書いているその時は、「縛りをどうクリアするか」という楽しさもあったし、デスノ初書きで月とLをどう表現しようかなあというワクワクもあったと思います。


私も、キャラと恋愛妄想をまったくしないわけではありません。「おお振り」の花井くんが私を好きになってくれたらいいだろうなー笑とか思ったりもします。でもそれは、あくまで脳内でちょろっと楽しむだけのものであって、人様に見せるレベルのものに昇華はできないのですのね、私の場合は。


結局私の書いたデスノドリームは、ドリーム小説としては中途半端(内面に関与できないという縛りがあって妄想力が弱い)、私の作品としては私の言いたいことを言えてない、「妥協の産物」になってしまった感じがします。駄作ですね。お見苦しいものをお見せしました。少しでも楽しんでいただけたのなら嬉しいのですが。
私は普段二次創作をする時はいっさい妥協をせず、やりたいことをやるので、こういう話を書くのはとても新鮮であり、面白くもありました。


もし*ちゃんを、月やLに関わって彼らの内面を動かすような存在にするのであれば、彼女についてそれ相応のキャラクター設定をし、デスノート読者がそれを読んで納得できるようなものにした上で、彼女とのラブなりなんなりを綴っていく…という形に(私としては)なるんですが、それってもうドリームじゃなくて、オリジナルキャラの登場するファンフィクションですよね。実際(成功しているかはともかく)ドリサイトには「ドリじゃなくてファンフィク寄りじゃね?」という作品も少なからずありました。
この辺は、カップリングものの二次創作以外の、「オリジナルキャラの登場するファンフィク」というジャンルが、現在同人サイトではあまり認識されておらず、どうカテゴライズするか迷ったあげくに「ドリが一番近いんじゃね?」ということでドリと分類されているのではないかと思います。(個人的には全然違うものだと思いますが)
ドリからはじめた人がファンフィクよりになっても、「オリキャラが出る」という点で他の二次創作サイトに混じれずにドリカテゴリのまま、みたいな。この辺りのことはまた下で。


ファンフィクションでない、「妄想を書き連ねた」ドリーム小説は、どうしても「設定を楽しむ」的要素が強く、深みのある作品にはなりにくいという特徴があると思います。
Cの意見を引用すると

ドリを好んで読む人って、「私対キャラ」が目的、と一度考えてみると、必ずしも、小説として面白いかどうか、というのはそこまで重要なことじゃないのかな、なんて思いました。そこよりも、より一時強く酔える状況、環境設定が重視されることが多いのかな。
だから、「ドリーム小説」というジャンルに対して、夢みがちだったり、ひとりよがりで。面白くない、という印象が強くあるのかも、と思いました。


ドリームを書いていて作品に「第三者が読んで納得いく客観性」を付け加えると、それはたぶんドリから遠ざかるのではないでしょうか。それは「オリジナルキャラが出てくるファンフィクション」に近づいたり、「原作の世界を楽しむ名前変換小説」になっていったりするような気がします。
それだからドリが悪いとか下だというのではなくて、「そういうものなんだ」ということを今回私は理解したように思います。


あと、「オリジナルキャラが出てくるファンフィクション」もしくは「原作の世界を楽しむ名前変換小説」を、読者が楽しめるように作るのには、かなり高いレベルの技量が求められると思います。誰もができるというわけではありません。
もとからキャラが与えられている二次創作がこれだけメジャーになったように、ドリームも「妄想をそのまま書けばいい」という手軽さが受けているのだと思います。(実際にそのまま書いている人も、そうでない人もいますが)
私は、思う存分妄想を叩きつけてほしいと思います。例え稚拙であっても、その人なりの何かがある作品は、何らかの形で人をひきつけます。私はそういう作品が好きです。それは二次創作でも商業作品でも一緒です。自分も別に文は上手くありませんが、そうありたいと思います。