『ワシズ』(作・原恵一郎)感想 〜人は老いるということ


近代麻雀オリジナル7月号、本日発売になりました。

いよいよ『ワシズ』が始まりました。
クレジットの福本伸行の部分には「協力」と入っています。

つまり、福本先生がネームを切って、それを原先生が描いた…という作り方ではなく、原先生の解釈が多く入っているものだと思います。


そのことも踏まえて、最初に読んだ時点での感想です。


人は老いるのだ。


『アカギ』に登場する鷲巣巌、75才の鷲巣巌は、確かに、老いてああなったのだと。


『ワシズ』作中では、鷲巣巌は「ワシズくん」と呼ばれています。アカギがアカギと呼ばれるように。

そして『アカギ』作中では「鷲巣巌」であり、ワシズと呼ばれることはありません。
『天』では、アカギはアカギと呼ばれることはありません。「赤木しげる」です。もう「アカギ」ではないのです。


『ワシズ』では、鷲巣巌(推定58才)は、自分の時代を生きています。時代の空気をまとい、自分への自信を振りまき、みなぎる生気は禍々しく輝いてすらいます。


あの頃は、強大な敵がいた。目指すべき標があって、自分の中から沸き起こるような活力を感じられた。



二十数年で、鷲巣は闇の帝王の座に駆け上りました。頂きにたどり着き、周囲を見渡します。
『ワシズ』から時は過ぎ、『アカギ』は、もう「ワシズ」の生きる時代ではありません。ワシズは老いて、鷲巣巌になりました。
確かに手にしていたはずの生きる実感、成功、金、名声。何を手に入れても、もう「ワシズ」には戻れません。

鷲巣は必死であがきます。
能無しの若者たちは群れをなし、空虚にくだらない時間を浪費している。だが彼らは確かに自分の時代を生きている。
自分はまだいくらでも出来る、何でも手に入れられるはずなのに、何を手に入れても空っぽの腹は満ちない。髪は白くなり、足は萎えて杖をつき、若者への嫉妬の感情ばかりが膨れ上がる。


白い服を着た部下たちを誇示するように幾人も従え、虚仮威しじみた黒と赤の服を身にまとい、無為に若者の血を吸う。
確かに狂人ではありますが、言ってみればそれだけです。ただそれだけ。
そんなことしか、出来なくなってしまった。昔に比べれば、遥かにスケールダウンしたと言ってもいいでしょう。
「ワシズ」は老いたのです。もう、自分の時代を生きることが出来ない(少なくとも本人はそう思っている)。それが彼を狂わせた。



鷲巣巌は老いた。老いてああなった。それを強く感じさせてくれた『ワシズ』。この作品、私は大好きです。原先生グッジョブ!と声を大にして言いたい。ありがとうございます!


私は、老いて矮小になった狂人、生き汚く抗う鷲巣巌が大好きなのです。


来月も楽しみにしています。

近代麻雀オリジナル 2008年 07月号 [雑誌]

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