商業と同人の垣根

腐女子世代間温度差話。
今度は、腐女子側つまり同人作家側の動きも、私なりに追ってみたいと思います。
しかし、私は田舎の子供だったので、大学生になるまではなかなか東京に出て行ったりはできず、同人誌の潮流などを知るのも、もっぱら本屋でのオタ関係雑誌などが主でした。
そんな片田舎の、ごく狭い範囲しか見えない、大手の同人誌は通販でしか買えないような一腐女子の思い出話みたいもんだと思って読んでいただければと思います。


キャプテン翼聖闘士星矢サムライトルーパーなど一連の人気作品によって、女性の同人誌人口が膨れ上がります。人気作家もどんどん生まれてきます。
そんな中には、商業誌デビューする同人作家も登場し始めました。
私はそう詳しいわけではないのですが、印象的だったのは高河ゆん
私がこの人の作品と出会ったのはウィングスの『アーシアン』が最初です。初めは同人出身ということを知りませんでした。商業作品はだいたい揃えてるくらいファンなんですが、同人誌は一冊しか持っていません(アニメイトで売ってたやつ)
続いて、小学館でデビューしたおおや和美。最初に買ったキャプテン翼アンソロに描いてらっしゃったのを良く覚えています。
それとやはり、特筆すべきは尾崎南でしょう。代表作『絶愛』は、あんまり言うのもあれなんですが、どう見てもあの、キャプテン翼の某キャラと某キャラがモデルなわけです。あまりのまんまさ加減に、同人女なら誰もが言葉を失うほどです。
知らない方のために話を説明しますと、ええと…人気ロック歌手の南条くんが、サッカー命の少年拓人くんに一目惚れしてしまい、やがて愛し合うようになるという…あってる?あってる?
連載していたのがオタ向け漫画雑誌なら、まあそれほどには驚きません。この人の凄いところは、id:XQO:20040805#1091682383で指摘されているように、『翼』と同じ集英社週刊マーガレットという、少女誌の大メジャーで長きに渡って連載を続け、しかも熱い支持を受けていたというところです。


私は小学校六年くらいの頃、りぼんからシフトして週マ(マガジンではない)を買っていた時期があったのですが、当時のマーガレットは看板が確か亜月裕の『伊賀野カバ丸』で、それはまあ少女漫画としては異色ですが、その他の連載作品はごくまっとうな恋愛ものが多かったように記憶してます。『ポップコーンをほおばって』とか…星野めみとかもいたような…ひたか良とかいたような…りぼんの浦川まさるの妹の浦川佳弥とかデビューして…って正直あんまりよく覚えてません。すいません。
しかし、その五六年後に、尾崎南が看板作家になろうとは。誰も想像しなかったんじゃないかと思います。
尾崎さんが連載していた頃週マを買ったことはなかったので、本当に看板作家だったかどうかは知らないんですが、同時期にこれも超人気作「花より男子」も連載していたと思うので二枚看板だったかも。書店ではしょっちゅう『絶愛』が表紙を飾っていました。巻頭カラー当たり前だったくらいの扱いだったと記憶してます。付録なんかも付いてた覚えあるなあ。レターパッドとか…

相川七瀬が絶愛大好きなのは有名な話ですが、まったくの一般人でも、初めて『絶愛』を読んで、もの凄く感動して泣いたとか、そういう人は枚挙に暇がありません。
私が高校生の時、同級生で、背がスラっと高くて飾らないショートカットで、バレーボールなんかやらせるとカッコよくスパイクを打ったりなんかしちゃう、さわやかな女の子(委員長でした)が『絶愛』が大好きでした。
もちろん、彼女は同人なんてこれっぽっちも知りません。キャプテン翼と『絶愛』を結びつけて考えたことなども一度もないであろう彼女は南条晃司(絶愛の攻めの方って、端的すぎる表現ですか)の大ファンで、オタだった私が「南条描いて!」と頼まれ、模写してあげた時の彼女の嬉しそうな顔。描かれた紙を抱きしめんばかりに喜んでいたことを、今でも忘れられません。うーん、いい思い出なんだかそうじゃないんだかわからない。すっぱい。

いったいどういう経緯でもって尾崎さんがあのような連載を週マで始めることになったのか、それが容認されたのかまったくわからないのですが、内部の事情はともかくとして、『絶愛』は大メジャーな人気作品となりました。
作品の内容とか評価とかはともかく(個人的には好きです)、何より
「そういうのもアリなんだ…!!!!」という思考を、世の腐女子たちに植え付けた功績というか…功罪というか…なんだかわからないんですが、それは大きいのではないかと思います。
同人作家出身で商業誌デビューし、作品に「あーこれ、あれとあれがモデルでしょー」ってわかってしまうような描き手さんも多かったですが(今でも多いですが)、尾崎さんの場合は「あそこまでやられたら、もう何も言えない」レベルの凄さだと思います。
その衝撃レベルたるや、男性オタで言ったら、赤松健さんのネギま!を初めて認識した時の衝撃みたいな感じです。ただし、赤松さんはもちろん狙ってやっている頭脳プレイで、読者が「好きだろう」「萌えだろう」と思うものを周到に配置し、投下しているわけなのですが、尾崎さんの場合は自分の好みをそのまんま、読者がええっと言う暇もないほどに直球でぶち込んで来たわけで。「狙っているとかいう次元を通り越している」ところが凄いところです(すごく誉めてるんです)。いやむしろ「狙ってない」ところが凄いのかな…「狙うという考えがない」と言うか。


で、これわたしあんまり良く知らないんですけど、知人に「彼烈火」(尾崎南のサークル名)をイメージアルバム?だかを昔、聞かせてもらった覚えがあるようなないような。で、それの中で台詞というかモノローグ部分を喋っているのが、当該の『翼』のアニメのキャラクターを演じていた声優さんだったような覚えが、うっすらとあるんですがこの記憶、正しいでしょうか?そんなことしちゃっていいのかい!?と随分驚いたような覚えが。のちに集英社から出されている公式のCDとかのは声優さんが違うっぽいんですよね。
それと、これも超有名サークルさんですが「えみくり」(サークル名)が味っ子の同人誌を出していた頃、これも友人から借りて聞いたテープだったんですが、メインの二人の声優さんを連れて来てトークショーとか、同人誌の台詞をそのまま喋ってもらったりとかしてて、そそそそそそんなことが出来るのか!?ともの凄く驚いた覚えがあります高校生の時。中身はかなり面白かったんですが。
まあこういうことはごくごく内輪でのみ行われていたことで、それで外部のファンにどうこうってことはないとは思うんですが、やっぱり、商業と同人の垣根って随分低くなっているんだなあ、というようなことを当時のわたしはうっすら感じたように覚えています。
そういえば「紫宸殿」(サークル名)が出してたグランゾート本(やおい)も、元アニメの方から公認されるような形でビブロスから発行されちゃってるしなあ。しかもまだ続いているらしい。同人誌バージョンの方は友人から借りて読んで泣いたっけよ…泣けるんだこれが。この同人誌、装丁がハードカバーで、すんごいキレイだったのをよく覚えています。


その後も同人出身作家さんは増え続けました。CLAMPがメジャーどころでは代表的かと思います。あんまり良く知らないのでネタがありませんでコメントできないんですが、本当はこちらさんたちも、同人としても商業作家としてもいろいろ新しいことをやった方々なんだろうなと思います。
メジャーでなくても、実は同人もやってます、昔やってました、という商業漫画家さんはとても増えました。
以前は「同人作家」「商業作家」の垣根は明確に分かれていましたが、「もと同人作家」でメジャーな商業誌でヒットを飛ばす人や、商業で活躍した人が、自分の好きなものを描くために同人誌を出してみたり、同人誌オンリーに移行したりなどの、「商業〜同人」間の行ったり来たりが読者の目に頻繁に映るようになってきます。人によっては「同人作家」なのか「商業作家」なのか、明確でない人もいます。


普通に考えれば商業作家はプロであり、それでメシを食っているわけです。同人作家というのは趣味です。金儲けのためではない、というのが建前です。少部数でも、自分の描きたいことを描く。それが同人。
だから「商業作家」が息抜きに、趣味で同人誌を出してもまったく構わないわけですが、以前では考えられなかったような不思議な現象が、ある時期に限って、商業誌で少なからず見られるようになってきました。


いつも楽しみにしている某先生の連載。今月は巻頭カラーです。ぱらぱらとページをめくっていくと、突然誌面がまっしろに。あれ?

そうです、某先生は、夏コミに発行する同人誌の原稿に時間をかけすぎて、商業誌の原稿を完成させることができなかったのでした!
というわけで、今月号は途中から鉛筆描きの下書きのみの掲載です…って
ふざけるな!と読者が叫んだところで、誰が止めることが出来るでしょうか。


完成させられないまま掲載されたり、掲載されなかったり、このモラルのない現象は、今でも日本のどこかで、ある時期になるとぽつりぽつりと起こります。人気作家がやると殊の外目立ちます。いつもなのであきらめられてしまった作家もいます。人気があるので、編集部も何も言えません。ついには読者まで慣れてしまうようになった人もいます。
ですが、これを見て、同人誌に対してプラスの感情をはたらかせることは、極めて難しいのではないでしょうか。編集者や商業作家は同人を下に見る、とか言うけれど、そりゃ下に見たくもなるでしょう。全ての人がそうでないにしても、よく目につく人気作家がそれやってたら目立つに決まってる。「だから同人は」って言われるに決まってます。
若い人から見れば「人気さえあれば、こういうことしちゃってもいいんだ」と映るかもしれません。「同人のためなら、商業誌ほっぽってもいいんだー、許されるんだ、カッコいい」と思う人も、中にはいるかもしれない。
急病で…などと取り繕っても、いずれどこからかわかってしまいます。 一社会人としてみれば、自分の趣味のために本業を怠ったことを、全国の読者に万人単位でさらしているわけです。みっともないことこの上ないです。好きな作家にこれをやられると、本気でヘコみます。作品でどんなに立派なこと言っても、実際やってることこれじゃあなあ…とか思ってしまいます。同人は同人だろー、商業の仕事を押しやってまでするのって、プロとしてどうなの?出来ないんなら出来ないって、プロの仕事減らすとかすればいいのに…同人の人って、そんな人ばっかりなんだろうか…「急病で」と商業誌を休んで出来た同人誌が仮にすごく良くっても、なんとなく心は晴れません。
そんな人ばっかりじゃなくても、そういう人が人気作家だと大変目立つので、そう見えてしまうこともあると思うのです。
編集や出版社側から見れば、同人誌だから締め切りを破ってもいいという感覚をプロの仕事にまで持ち込んでいる、同人はいい加減、そう思うでしょう。一読者である私でさえ、そう思わざるを得ません。
オタじゃないけどその作家を好きな人が聞いたら「同人ってなんかヤだ」と思うでしょうし。商業誌に同人の事情を持ち込むなんてプロじゃない、と一般的な常識人は思うと思います。
「でも出したいんだもん!一年に一度の夏コミだもん!」というのは、子供の言い訳です。


昔は「商業作家」「同人作家」の差は明確だったと思います。
ですが、商業から同人に行く人、同人から商業に行く人、商業誌に同人の事情を持ち込む人…
そういった人たちが増えて、そういう人たちを見詰めて育った、私たちよりも後の世代に出て来た腐女子の二次創作に対する認識に、大きな影響を与えているのではないかと思います。
そして、商業と同人のボーダーレス化によって、昔から腐女子だった人たちにも、新しく腐女子になった人たちにも、少なからず意識の変動が起こっているのではないでしょうか。