女子腐女子

id:platero:20041005#p14さんであげてもらった少女漫画。うわ、ほとんど読んでねー。
NANA」は最初の方だけ読んでた。「フルバ」絵が駄目で読んでない。(最近の花ゆめ系はほとんどダメ…羅川さんは好きですけどしゃにむには読んでないし。最近LaLaの表紙見たら、なんかもうついていけない感じになっていて時代の流れを感じた。今ならメロディがララの位置なのかー。桑田さんとか遠藤さんは好きだった。成田さんもアレクサンドライトまでしか読んでないし。清水玲子は好きだけど輝夜姫はひっぱりすぎた。カレカノも途中からなんかもーいーよって感じになっちゃったし。ひかわきょうこは好き!あ、メロディと言えば赤石路代も意外に好きです!)
「のだめ」は読んでます(立ち読みで)。ハチクロは最初に出た紫の表紙の一巻だけ持ってる…「花より男子」は図書館で読んだ。面白かった、以上。「ピーチガール」「先生!」「ラブコン」「クローバー」タイトルしか知らない。「パフェちっく」「僕等がいた」タイトルすら知らない。「ホットギミック」この人の最初の連載の一回目を読んで拒否反応示して以来近づいてない。「リボンの騎士」!!好きです!!
「最近好きなのは…」と言う方々もほとんど名前しか知りません。うわー。


考えてみれば恋愛ドラマも恋愛映画もウザくて見れないという私なので、当然と言えば当然なんだけど…
い、いや、面白いのは好きです、けど!ドラマはほんっと見ないな。見てるとイライラするしな…


plateroさんは「『女の子の気持ちや反応、特有の意地悪さ、かわいらしさ、そういうもろもろの女の子らしさというものが本当に好き』よーするに女の子が好き!」なんですね。あー、すごくわかった気がする!
以前plateroさんは「女性化も好き」と書かれていたけれど、それもこの辺から来るものなのでしょうか?だったら凄くわかる気がします。
私も女の子は好きだけども、「女の子のかわいらしさ、と言われてそれを『かわいい』とする視点」を厭う気持ちがあり、だから腐女子なのだと思うし、女性化ものはあまり好きじゃないんだと思う。「女性だからかわいい、かわいくあれ」と言われるのが嫌でこっちに来たのに、なんでまた女性化しなくちゃいけないんだと思ってしまう。
女性として生まれ、男性とつがって幸せになるという構図に意義を唱えたい自分が居り、でも今までさんざっぱら刷りこまれてきた、周囲からの「女性としての幸せ」にあらがえない、そっちへ行ってしまいたい自分もいる。でも自分を誤魔化してそっちへ行ったところで、自分が幸せになれないことも良くわかっている。そういう部分が、私を腐女子たらしめているんだと思います。
カップリングものの二次創作、オリジナル、商業作品の中の少なくない作品が「受けを女の子にすればただの少女漫画」になってしまうのは、「男(攻め。実際の男性でなくても、社会における男性の役割とされているものを象徴するキャラクタ−)に愛されて幸せな自分」という刷り込みを取り去ることは難しいからではないかと思います。世間では男と女がつがってしあわせー、結婚して子ども出来てあたたかな家庭ー、というのが「一般的な」誰に文句を言われることのない幸せということになっている。だからボーイズでもそれをなぞる。


今、昔のジュネ作品みたいにシリアスな葛藤メインの話じゃなくてライトなボーイズラブが人気あるのは、もうあんまり考えたくない、なんでもいいから自分の生の女性としての現実と離れて心地よいものを読みたいという疲労感ではないかと少し思うのです。私もそういう時があるので…もうあんまし考えたくないからラブラブでしあわせなものを読みたい…でも、結局それでは満たされないですね、私の場合は…ラブラブでしあわせになったあと、この二人はどうなるんだろう、と考えちゃうから。
それとはちょっと違うけど、以前、ネットで二次創作で長編を連載形式で書いていて、最終的にはハッピーエンドだけれども途中、葛藤があってキャラクターが辛い場面を書いていた時期に「いま自分は家で祖母の介護をしなくてはいけなくて精神的に辛いから、同人でくらい明るくてラブラブでハッピーな話を読みたい。暗い展開はやめてほしい」と言われてずいぶんショックだった覚えがあります。ハッピーエンドにたどり着くために必要な葛藤もダメなの?と思ったけどその人にはそれくらい辛い境遇だったのかもしれない。
みんな、ラブラブでハッピーになりたいのか…なりたいよなあ。私だってなりたい。それが幸せだと刷り込まれて生きてきたもんなあ。


plateroさんの疑問「腐女子ってカップリング重視でリバ不可な人多いのなんでなんだろう…」の私の答えは、「リバという形で自分と相手の、男性としての役割/女性としての役割をおびやかされると困る」からではないかと思います。女性として愛される幸せを刷り込まれた人間には、そこを固定しといてもらわないと、人と人との恋愛関係というものを構築するのが困難なのです。自分が女性であった場合、一番馴染み深い形式だし。それを打破して新しい人と人との絆や関係を、お約束でなく構築していこうとするのは、困難な試みです。
よく「リバ可」って言う人もいますが、「どちらも自分の中では受キャラ(=女性的役割)なので、いわば百合カップル(同人における百合という言葉の定義についてはとりあえず置くとして)だからどっちが上になっても問題ない」だったりしますね。なんだかこんがらがってきましたが…