今月の『おおきく振りかぶって』

(おお、今書いてから読み返したらまったくまとまりない文。わかりにくくてごめんなさい)

今月号のおお振りは、作者が一皮脱ぎ捨てた印象の会心の出来。
この分量を一気に読めるのもうれしい。編集部に感謝。

今までの、どちらかと言えば繊細な印象に、一本太い屋台骨が加わったこの感じ、
どこかで覚えがある、と思ったら
塀内夏子に似ている気がする。

塀内夏子は『フィフティーンラブ』『オフサイド』『Jドリーム』などで知られる
女性には珍しい、スポーツ漫画を中心に描く漫画家だ。
マガジンはなぜかスポーツ漫画を描く女性作家が豊富で、
現在もテニス漫画(だったよね?)を連載中の『シュート!』が有名な大島司
今はスポーツから離れてしまったが、バスケット漫画『ハーレムビート』の西山優里子
私は素人なので編集部の中のことなんかはわからないが
彼女達がスポーツ漫画に打ち込めたのは、もしかすると塀内夏子が頑張った功績かもしれない。

塀内夏子はずっと「塀内真人」という名前だった。
(ちなみに、幼少時の私はずっと「ほりうち」だと思っていた。「へいうち」です)
のちに単行本で明かされるが、女性の作者名だと読んでもらえないかもしれないというので男性名を使っていたのである。
大島司にもこの伝統は受け継がれていて、
『シュート!』のコミックス折り返し、単行本のおまけの舞台裏マンガなどに描かれる
大島司の自画像は、短めショートヘアの男性に見える。
女性をうかがわせる描写も一切ない。
だが、講談社漫画賞受賞時の写真で見た彼女は、セミロングのうら若き女性だった。
(それまでは私も男性だとばかり思っていた)
『シュート!』を途中で読むのをやめてしまったので、その後自画像がどうなったのか
知らないが、マガジンで男性読者の支持を受けた二人の女性作家は、二人とも性別を隠していたのです。(西山さんはちょっと違う方向に行ってしまったようなので…いや、読んでないんですけど)



だいぶ話がそれてしまった。
とにかく、塀内夏子はかなり長い間、マガジンのスポーツ漫画ジャンルをひっぱってきた人気作家である。(今は青年誌でレガッタものを描いているんだっけか)
女性だから、女性ながらという表現はよろしくないけれど、
塀内作品の魅力のひとつに、たくさんのキャラクターに作り込まれた設定がある。
単行本を読むと、非常に細かいことまで決まっているのに驚かされる。
お姉ちゃんがいる、あの教科が苦手、好きな食べ物。
それらが全部、作中に出てくるにしろ出て来ないにしろ
おのおのに魅力的なキャラクターを構築するのに役立っているのだ。


おおきく振りかぶって』一巻には、
折り返しにキャラクターの簡単なプロフィールがついているのだが
ここには家族構成と、誰が何組かというのが記されている。
この選択に、女性作家っぽさというか、塀内夏子っぽさを
そういえば感じていた。
姉がいるか兄がいるか、一人っ子か。祖父母は同居か。
誰と誰が同じクラスか。
そういう部分からキャラクターを構築していく感じ。
そういうところに共通点を感じてはいたのだけれど、
やはり塀内さんの持つメジャー感、正統派感はまだひぐちさんにはなくて
アフタヌーンから出て来た変化球」という印象だった。



ひぐちアサの一連の作品を見ると、
作者と作品世界の目が、だんだんと外に向けられていっているのがよくわかる。
『ゆくところ』『家族のそれから』『ヤサシイワタシ』、と来て『おおきく振りかぶって』と読んでいくと
それを作者が必要としているのだ、内から湧き出て来ておさえられないのだと
強く感じられて、私はそこに感動する。

その移り変わりは絵柄に良くあらわれている。一番顕著なのが目の大きさだ。
『ゆくところ』では目は小さい。漫画の絵柄を「目小さい派」「大きい派」に分ければ、明らかに小さい派だろう。全体に頼りない線で(だがしっかりと)控えめに描かれている、強さはあるが、派手さはない。
『家族のそれから』『ヤサシイワタシ』では絵がぐんと上手くなるが、それでもまだ目は大きくはない。サイズ的に大きくても、下まつげの部分が省略されていたりして、やはり控えめになっている。
(関係ないが、『ヤサシイワタシ』二巻あたりから絵柄やギャグ顔の省略の仕方などが、非常に中村かなこに似ている部分がある。
 影響を受けたのだろうか?偶然?それにしちゃ似過ぎだが)

おおきく振りかぶって』では一転、「目大きい派」になる。
明らかに現在は「目の大きい絵を描く人」だと思われているのではないか。
これを読んでから『ゆくところ』を読むと驚くと思う。

同人でも漫画を描く人ならわかると思うが、
目の大きさを変えるというのは非常に大きな決断だ。
昔は大きく描いていたが、絵が上手くなるにつれ小さくなっていく人は多い。
だが、逆はほとんどない。
ここには、ひぐちアサの強い意志があらわれていると思う。
大きな目で、みんなに強い意志を伝えてもいいのだ。
いま、それが自分には必要なのだ。

マガジンという大メジャーな舞台で長く活躍していた
塀内夏子のような強さを、ひぐちアサの作品から感じられるようになったのは
(もちろんパクったとかマネしたとか言いたいんじゃなくて、そういう雰囲気が自然に出て来たということです)
おお振り』連載開始で『ヤサシイワタシ』の読者を驚かせたところより
更にワンランクアップしたんじゃないのかな。
もちろん、一巻あたりから既に強さはあったけれども
それが更に読者にわかりやすい形で入ってくるようになったと思う。
今月号のおお振りは本当にすごい。
王道で、かつ新しく、みずみずしい。
なかなか気軽に読み返せないくらい。今後がとても楽しみです。

もしかしたら、もうあのほら生きている死体みたいな『ああっ女神さまっ』をようやく眠りにつけさすことのできるくらいの看板作品になるかもしれないよ。
昔は好きだったんですよ。どのくらい好きかって、本出したくらい。オフで。
今月号のあのネタなんて、青年誌的には単行本三巻くらいで終えていていい話だろ…