愛に見えなくても、それは愛


先日の「のだめってつくづく801です」 、色々取り上げてくださってありがとうございます。

あのねすっごく意外だったんですけど、「斬新な読み方」とか「新鮮」とか「その発想はなかったわ(汗)」みたいな反応がね…ええええええ!!私、あの、それってかなり普通の読み方だと思ってたんですよ…身内では割と「うんそうだよね、その通りだね」という感じだったし…
「801です」という表現が思いつかないだけで、そう言われれば「ああそうですね!」と得心していただけるものだとばっかり思ってました!!ひとりよがりMAX!!
しかしその証拠に「確かに!」「その通り!」「納得!」みたいな取り上げ方をしてくださった方も少なからずいらっしゃいました。割合としては半々くらいです。

あとその下の「そしてこれも801」 のエントリ、後から書き足りなくなってどんどん書き足したんですけど、あれもこういった反応をいただきまして…


801論close/cross; confusion is sex

鷲巣戦はあんまり好きではなくって、それは無闇に長い割に前の戦いほどカタルシス(アカギすげえ!っていう展開)がそれほどないのと、鷲巣が大して強くなくってアカギに翻弄されるばかりだってのがあったんですが、それは自分が結局アカギを単なる「天才=麻雀マシーン」として見ていて、心があり葛藤する一人の人間として見てなかったんじゃないかと。アカギが悪魔のように人の心を手玉に取るのも、それはひとつのコミュニケーションであり、「愛」なのではないか。「アカギは鷲巣のことを大好きなんだろうな」っていう洞察は本当に鋭い。


えええええええええ!!!
私は「アカギは鷲巣のことを大好き」というのは、「のだめが801」以上に、世界の常識だと思ってたーーーーーーーー!!!少なくとも、老若男女、オタ非オタ腐女子腐女子に関わらず、アカギの読者の三分の二はそう思って読んでると思ってたーーーーーーーー!!!!!!

いや、あの、腐思考はいっさい省いてですよ。省いて、アカギは鷲巣のこと大好きだろ。
うんまあ、大好きっていうと確かに語弊があるかもしれないよ。

もちろん、鷲巣の性格とか、そういうものを愛しているとか、そういうんではないですよ。なんて素敵な人だろうとか(笑)寄り添って生きたいとか(笑)愛し慈しみたいとか(笑)そういうんじゃなくて。
なんていうのかなあ。


「鷲巣巌、オレと麻雀するために生まれてきてくれてありがとう。鷲巣巌で居てくれてありがとう。狂ってくれてありがとう。存在してくれて、ありがとう」


ていうような、そういう「大好き」なんですよ!
腐もえ一切抜きにして話してますよ、今!!
アカギは、鷲巣巌の存在そのものを愛していると思うんですよ。自分が戦う相手として、愛している。誰とも代替のきかない、鷲巣巌でなければ駄目。


私、赤木しげるってなんて愛にあふれた人なんだろう、と思って(「アカギ」も「天」も)ずっと読んでいたので、むしろアカギが単に天才だっていう読み方の方が斬新すぎて…ショックが大きいんですが…

そりゃあ一般的に言うところのやさしい、とか慈悲深い、とかそういうのではないですけれど、赤木しげるってさあ、対戦相手に対して愛があふれてると思うんですよ…浦部とかさあ。普通、言わないだろうってことを言ってやるじゃないですか。あれは嫌みで言ってるわけじゃなくて、愛なんだと思うんですよ…愛というか、愛情。麻雀を打って、人を食って生きてきた雀士に対する愛情。傍から見たら辛辣だけど、もっとひいて見ると「慈悲」にも見える。
そう考えると「天」の赤木と「アカギ」のアカギがつながるんですよね。「天」の赤木はやさしいじゃないですか。19の頃はああいう風に表現は出来ないだけで、根っこは同じなんじゃないかと思うんですよね。
13才のアカギはあんまりそういう感じはしませんけど、それは子供だからで、矢木さんに対して「倍プッシュだ」と言ったり、市川さんを負かしたあとに「市川で再戦すればいい」ってなことを言うのも、もちろんヘナヘナになった相手からならいくらでも奪えるってのもありますけど、つまるところ「もっと遊んでよ」ってことなんだと思うんですよ。で、相手が奮起してまたなんか仕掛けてきたら面白くてラッキー、くらいの気持ちで。
でもみんな、そのままヘコんじゃって仕掛けてきてくれないんだよね。だから、あーあつまんないな…という気持ちをずっと抱えて生きている。

だからこそ、もしかしたら自分を殺すかもしれない強運を持った鷲巣巌、その存在を愛している。代替のきかない、その存在そのものを愛している=801なのかもしれません。私の定義では…
かけがえのないもの、っていうんでしょうかね。

それはアカギの片思いかと言えば、鷲巣巌の方も「この男を殺せたら わしは到達するだろう…! 齢…75年間の最高地点…至福の瞬間に…! わしは…この男を殺す為に…生まれてきたのかもしれぬっ…!」と、アカギの存在を他を圧した特別なものとして捉えています。両思いだよ。
そうして二人はお互いの頭脳と運を駆使して、お互いの破滅を欲しがる。両思いだ。


で、腐女子がですね、その「愛」、大いなる「愛」に心の琴線を揺すぶられてしまった場合、まあなんとかしてこの「愛」を何らかの形で表現したいと思うわけです。叫びたいんですよ。これは愛だ!愛です!と。
で、「愛」を表現するために、割とメジャーな手段として「恋愛」というのがありまして、それにまあ仮に置き換えて表現しているのがいわゆる「801」なんですよね。
別に、「愛」を表現するのに恋愛以外の表現があったらそれでもいい。
ただ、恋愛に似た形にしたり、キスさせたりセックスさせたり、というのは既に手法として確立されていて、世界的にもまあよくある愛情表現の形であるわけだし、同好の士に受け入れられる可能性も高い。
つまり腐もえというのは愛を表現するためのテンプレの一種なんです。
それ以外に例えばさあ、愛を表現するのに「ホラ貝を吹く」とかがあれば鷲巣さまに気が狂うほどホラ貝吹かせるだろうし。それだけなんだ実のところ。


そりゃあ私だってさ、アカ鷲もえではあるけれど、原作のアカギが鷲巣に対して、なんて素敵な人だろうとか(笑)寄り添って生きたいとか(笑)愛し慈しみたいとか(笑)思ってるとは思わないですよ!でもそれを、あえて!そう思ってるように(笑)書いてもいいじゃない!熱い勝負は恋の気分よ、胸の鼓動はドキドキ目先はクラクラ負けそうっ…負けそうっ…!!ていうあれだよ!!
鷲巣麻雀終わったら、破産破滅してよれよれになった鷲巣をアカギがまた工場に勤めたりして養えばいいじゃない。鷲巣が老衰で死ぬまで一緒に暮らしたらいいじゃない。風呂無し安アパートで六畳一間でいいじゃない(アカギが勝ったらお金あるはずだろ…)。横町の風呂屋に赤い手ぬぐいマフラーにして二人で行ったらいいじゃない。一緒に出ようねって言ったのに、いつも鷲巣さまが待たされたらいいじゃない(意外に長風呂と思わせるが実はそれがアカギの罠っ…)。鷲巣さまの洗ったおぐしが芯まで冷えたらいいじゃない。手袋とかなくて、鷲巣さまはかじかむ指先に息を吹きかけながらこすりあわせたりしたらいいじゃない。うわヤッベその鷲巣さまもえすぎ!そうしたらやっと出て来たアカギが(以下自粛
それで、鷲巣が死んだら、うん、アカギは、裏世界にやっと身を投じて、3年くらい頂点を極めればいいじゃない。



「アカギは鷲巣のことを好きである」と露ほども思わず今まで「アカギ」を読んでいたあなた!
騙されたと思って「アカギは鷲巣のことが大好き」と思って読み返してみてください!(戦うちょっと前、アカギが賭博場で殺されそうになってたあたりからがおすすめ)
特にアカギが鷲巣の核(コア)を探るために思いを巡らせてる場面のネームは舐めるように読むんだこの野郎!
ていうかあんた、おじいちゃんを破滅させるためにどんだけ努力してんだと!あのアカギが!どんだけ策巡らせてんだと!それだけで十分だろ!!愛の証明には十分っ…!!


愛に見えなくても、それは愛。そしてそれを恋愛とかそれに似たものに置き換えるのが801。今回はこういう結論でひとつ。