デスノドリ試し


ドリーム小説に、初めてチャレンジしてみよう!という試みです。
デスノート」を題材にしています。主人公の「自分」はデスノートには出てこない、オリジナルの女の子になります。(腐女子的要素はありません)


 ・主人公の名前は*ちゃんです。
 
 
***********************

 階段教室の後ろのドアを開けた途端、隣にいた美奈に腕をつかまれた。

「うっそ夜神じゃん。この授業取ってたっけ」
 そう小声であたしに囁き、急に巻いた髪を気にし始める美奈に、呆れて聞き返す。
「あんた夜神イケんの?趣味悪」
 正直なあたしの意見に、美奈は笑顔で言った。
「えー、そりゃちょっとナリはダサいけどさー、顔見れんじゃん」
「まーねー」
 確かにそうだけどさ。遠目に夜神月の、それなりに整った横顔を見やる。


 夜神月は、一応国立では一番偏差値が高いってことになってるうちの大学に、全科目満点というあり得ない成績で入学してきちゃった奴だ。さぞかし勉強オンリーのキモオタかと思いきや、入学式に壇上に立ったのは、まあまあ見れる顔の、いかにも育ち良さげな坊ちゃん然とした男だった。それ見た女子は盛り上がったし、初めて話す切っ掛けが夜神のことだった子も多い。
好みじゃねえから顔はどうでもいいけど、何にしても全教科満点というのは衝撃的ではあった。開学以来だという話。それが二人いたんだから、今年の一年生はどうかしてるってんで学内じゃ入学前から噂の種だったって聞いた。それで実物はと言えば、夜神はあれだし、もう一人も、名前も態度もナリも夜神以上に突き抜けて個性的だったから、あたしらみたいな凡百の民は、首席入学様の噂をしては、ありえねーとか言い合って楽しんだ。もうほとんど日々の娯楽の一種。
 東応に来るような奴は、まあ多少は自分のアタマの出来だの偏差値だのに自信のあるのばっかりだから、青息吐息で三浪してやっとここに入って来た奴なんかからしたら、涼しい顔して首席入学、な夜神は激しくコンプレックスを刺激する存在なんだろうと思う。それはあたしらなんかにも同じだけど、正直あそこまで行っちゃうと「人種違う」って感じでリアルに嫉妬したりなんかできない。
 顔もまあまあで、父親は確か刑事局長だったかな(たいして夜神に興味のないあたしが知っているくらい、学内では夜神の噂が散々飛び交ったのだ)。頭脳明晰、物腰柔らか、昔テニスで全国優勝したけど飽きたからやめた、だっけ?少女漫画に出てくる男かっつの。なんか、現実味なさすぎてあたしは男としての興味はまるで感じない。男はちょっとバカなくらいがかわいいのに。
 ま、入学してわかったのは、東応大だろうと男はバカばっかりだってことですけど。


 美奈は夜神の近くの席に行きたそうな素振りを見せたけど、あたしが一番後ろの席に陣取ると、迷う様子もなくあたしの隣に腰を下ろした。どうせこの子だって、本気で夜神にどうこうってんじゃない。学内で噂の目立つ男をちょっとウォッチしたいだけなのだ。
 夜神の後ろ姿、ぴっしりアイロンのかかったシャツの後ろ襟を眺めながら、偉そうにあたしは論評する。
「あたし的には、まずあの分厚い前髪どうにかしてほしい。あとお母さん買ってきた服そのまま着ちゃいましたっぽいナリも」
「言える」
傍目には、他愛のない話題で女の子二人が盛り上がっているかのように、あたしも美奈も小さく笑う。
「別にさー、凄いダサってわけじゃないんだけどー、あんまねー、今時の若者っぽくはないですよねー」
「ジャスト応募しようよー。首席改造計画」
 美奈が口をおさえて、笑い声を堪えている。構わずあたしは続けた。
「シャツの下にタンクトップもマジ勘弁だよなー。そつのなさそうな夜神くんはsmartもメンノンも読まんのですかね」
「*、やめてもう、マジおなかいたいんだけどー」
 夜神のあの、見ようによってはシンプルで上品と受け取れなくもないファッションは、本人なりの主張なのかもしれない。俺様はおまえらみたいにいたずらに流行を追ったりしませんですよー、みたいな。しゃらくさいっつの。
「*はそう言うけどさー、いいんだって。美奈と付き合いはじめたらー、『夜神くん絶対こういうの似合うー』とか言って自分好みのカッコさせりゃいいだけだしー」
 ティアードの水色のキャミ着たほっそい肩をすくめて、美奈が猫なで声を出してみせる。あざとい身振りにこいつマジかとあたしは不安になる。
「あんたそれマジ発言?つか、夜神って高田と付き合ってんじゃん」
 ごく最近、そういう話をどっかから聞いた気がする。美奈は、男から見りゃさぞかわいく映るだろう笑顔で、無邪気に言った。
「あんなんすぐ別れるってー。だって、高田性格最悪じゃん」
「最悪かどうか知んないけど。面識ないし」
「友達から聞いたもん。自分のこと美人でアタマいいと思って、ツンツンしてて、空気読めなくて、すぐ浮いちゃってなんかウザって」
「はあ」
 美奈は突然、到底学び舎に持ってくるには適さないと思える、グッチの長財布と携帯と化粧品しか入んないようなちっちゃいバッグを探った。つかおめー、この授業のノート、試験前にあたしのコピーする気でいるべ。金取るぞ。
 おもむろに取り出したパールホワイトの携帯を素早い指さばきで弄りながら、美奈は言った。
「高田ってえー、大学デビューなんだよ。知ってた?」
「知らない」
「高校ん時の高田、超ーダサいの。髪真っ黒でひっつめててー、眉剛毛でえー、ぜんぜんいじってなくて。分厚い黒ブチメガネでさー。超地味ガリ勉だったんだって」
「へえ」
 確かに、ちらっと見かけたことのある「清楚」高田は、服もMORE系と言えば聞こえはいいけど、二十歳前の女としちゃ単なる地味だし、化粧も(高校の頃がそうだったのだとすれば)頑張りはしたのだろうが、ごくごく地味だ。すれてないと言えばすれてない。そういう感じが男子にゃ受けているんだろうが。それ単に天然記念物だってだけな気もするけど。
「よくそんなこと知ってんね」
「文学部じゃすげー噂なってんよー。女子多いからさー。卒アルの写真、写メで撮ったやつまわってきてえ」
「あんたさっきから携帯いじってんの、それ探してたの」
「うん」
 悪びれない返答に、何だか脱力した。
「や、いいって、別に見たくねえよ。高田の過去なんて」
「えー、なんでー。マジウケるって」
 綺麗に真上にカールされたマスカラばっちりのお人形みたいな睫毛をパチパチさせながら、美奈はまだ携帯を弄っている。女の嫉妬ってこえー。そらまあたしも女子だし、「清楚」なんてあたしらへのあてつけですかみたいな通り名つけられて満更でもなさそうな女、気に入らなくないと言えば嘘ですけど。あたしだって、中学の卒アルの今より五キロ太ってて顔パンパンの写真とか回し見られたらマジ自殺したくなるっちゅーの。高田カワイソー。他人事だけど。


 教授がなかなか来ないのをいいことに、どうでもいい夜神談義は続いた。
「つか、月でライトってありえなくね?」
「ねー、ウチら普通の名前でよかったー」
「親が馬鹿だと子供がかわいそうってか。それだけは夜神に同情するかも。なに考えてつけたんだろね、局長さん。そんな警察に社会正義を任して置くなんて、あたし心配だなー」
「そっかー、だから夜神ってグレちゃってー、全教科満点とか、シャツの下にタンクトップチラ見せとか、そんな子どもになっちゃったんだよ」
「ヤンキーの子どもの後ろ髪が長いようなもん?」
「それそれ」
 他愛のないアホ話だけど、結構いいとこついてるかもとあたしは思った。

 つか、あの完全無欠の夜神大先生も、大学デビューの高田に告られてほいほい付き合ってるなんて、かわいいもんじゃないですかと。そんな結論を持って、教授到着、私語は厳禁、違反者は退室となり、あたしらはいい子で口をつぐんで、終了のチャイムが鳴るまでいい気持ちでうたた寝をした。





「んじゃー、あたしこっちだから」
「またお昼に学食でねー」
 美奈と別れて、次の授業の教室に移動する。
 般教はすやすや昼寝こいちゃうこともあるあたしですけど、この授業だけは真面目に出る。つーか東応入ったの、この教授の授業聞くためだし!
 既に教授ラブ入っちゃってるあたしはピカピカの一年生の分際で教授んとこ入りびたりで、熱心な生徒的ポジション確立してる。院希望だし、今から顔つないどいて悪いことないよね。
 今日も教授にお借りした本片手に最前列確保ですのよ。おほほほ。携帯いじってる愚民どもは授業の邪魔んなるからとっとと後ろ行けや。
 早めに教室に着いちゃったんで、教授にお借りした本の続きを読んでいることにする。

 …
 えーと。調子こいてましたすいません。この本難しい。まだまだ勉強不足のあたしにはわかんない単語もいっぱいあるし、内容が高度。専門家向け。
 うんうん言いながらわかる単語を拾って読み進めていると、授業開始時刻が近づいて、周囲の席も埋まりはじめた。
「ここ、いい?」
 そうかけられた声も、真面目に本に没頭してたあたしは一瞬スルー。慌てて笑顔を作り、声の主に微笑みかけた。
「あ、あいてますー」
 げ。
 にこりとお座なりな笑顔を見せたその男。
 

 やーがーみ。マジかよ。
 

 夜神月は静かに腰を下ろし、もうこっちなんかどうでもいいと言わんばかりに、配られたプリントを眺めている。
 うわ。こんな至近距離で見たの初めてっス。さっきまでの雑談のネタにしてた御本人、物珍しいのも手伝って、ついまじまじと見つめてしまう。
 あーねー… ま、確かに顔は見れるわねー。髪もサラサラしちゃってるし。分厚い前髪勘弁してほしいけど、こういうのが好きな女子もいるでしょね。顔立ち整ってる。目元涼しいっつの?形いい鼻。口元。お肌ツルツルだし。憎いわ。間抜けヅラとは罵りがたい御面相ではあるわな。分類としてはギリギリ綺麗系?
 でもあたしはこういうの好かんのよねー… 男はもっとゴツいのがいんだよなー。いかにも男っぽい外見で、しかも中身がピュアピュアだったら言うことないんスけど。って、これなんか逆オヤジっぽい発言?
 なんか、夜神さま、その目が好かん。いっかにもあたしら見下してそーな?それでいて、そんなこと露ほども思っていませんよっぽい?腹は真っ黒なんだろうなー。そう思わせちゃう油断ならない、坊ちゃんらしくない目。やっぱダメ。あたしの好みと正反対ですわこりゃ。
 なんつってじろじろ見てたもんだから、不躾な視線にさすがのライト様も反応しなすった。うろんげな眼差しだったが、あたしが後生大事に抱えていた、教授にお借りした本の背表紙に目をやると、ちょっとだけ表情をゆるめて、こう言った。
「その本、教授の著書だよね」
 いきなり話し掛けられて仰天する。あたし?あたしだよね?あたし以外いないっつの。
「そうですけど…」
 おずおずと返答すると、夜神は、本人だけは親しみやすいと思ってそうな笑みを浮かべて、あたしの顔を覗き込んだ。
「読みたいと思ってたんだ。もう読んだ?面白かった?図書館では借りられてて」
「あ、まだ途中まで…難しくて」
「ちょっと、見せてもらってもいいかな」
 言われるままに本を手渡すと、ありがとうと言いながら夜神は目次を開き、次に索引を眺め、パラパラとめくった。お目当ての記述が見つかると、忙しく目を動かす。
 ほんの数分で満足したらしく、すぐに本を閉じてあたしに返す。
「ありがとう。この第二章だけが見たくて。さすがこの分野では権威だね、凄くわかりやすいし、興味深いよ。君はここまで読んだ?」
 わかりやすい。っつー、さすが天才様は違いますね!正直ぜんぜんわかりませんでしたよ!
 でも、そう言うのも癪だったので、そこまでは読んだと嘘をついた。読んだけど半分も理解できなかったんだけど。
 そうしたら、夜神はいろいろ話し掛けてきた。その質問の仕方は、あたしなんかよりぜんぜんこの分野に詳しくて、マジで本の内容を理解していると知れた。つーか、根本的な知識レベルの差を痛感させられちゃいました。適当に相槌を打ってはいたけど、あたしがたいしたことないのがわかったのだろう、夜神はじきに会話をフェイドアウトさせた。くっそー、天才様に気イ使われちゃいました!
「この本、図書館のじゃないんだね。君の私物?」
「いえ、教授からお借りしたんです…これがいいって、勧めてもらって」
「そう」
 夜神は言葉を切って、虫唾の走るようなめっちゃ優しい声色で、あたしに微笑みかけた。
「勉強熱心なんだね」
 キャー!!あたしったら!夜神さまに、じきじきに、お褒めの言葉、いただいちゃいましたー!!!
 超ムカつく!!!
 

 ダメ。いやーもうほんと、あたしがバカなのが悪いんスけどね。こんな最前列陣取っちゃって恥ずかしいでーす。もうほんと、席立ってしおしおと一番後ろに行きたいくらいな気分になった。でももう反対側の席も埋まっちゃったし、もうすぐ授業が始まるのに今更ガタガタすんのも迷惑ですしね実際。超ー惨め。超ー信じられない。あーもうこいつの隣に座ってんのイヤ。夜神ウゼーよ。もう天才は天才らしく、愚民と一緒に授業なんて出ねえで図書館でお好きな本でも読みくさってろっちゅうの。いやこの授業は必修ですけどね。なんて千々に乱れた胸の内を表には出さず、心の中だけでキュウキュウ言ってた健気なあたしに、突如。
 救いの神が、現れたのだった。


「夜神くん」


 抑揚のない声が、その場に届いた。周囲はなぜかしんとした。
 あたしの脇の夜神の腕が、わかんないくらい一瞬、びくりと揺れた。
 夜神の隣の席は、なぜかぽつりと空いていた。隣に座るのに、誰もがなんとなく引け目を感じるらしい。そこに、ちょっとリラックスしすぎなナリの、ひょろりとした男が立っていた。
「もう席がいっぱいで… 隣、あいてますか」

 うわー!!!嘘!!
 流河キター!!!
 



 
 ちょっと前までのダウンな気分をキレイに忘れて、あたしは一人で興奮しちゃってた。
 ギャー流河ですよ流河。学内でも滅多に見れないナマ流河。あたしが直で流河見たのなんて、ほんと遠目でちらりと以外は入学式以来かもしれない。この人、ぜんぜん学校来てないんだよね。必修もぜんぜん取ってないらしいし、何で大学なんか入ったんだろ。ほっそ!白!
 いやーあたしもなんだかんだ言って結構野次馬だね!すげー、ナマ流河と夜神のツーショットっスよ!レアだぜ!あーもう美奈にメールしてえ!
 目の下の色濃いクマと、生っ白い日焼けのカケラも見えない肌と細い体に、実は流河は重い病気を抱えているんじゃないかと噂されていた。そういう理由をつけちゃえば、ありえない成績と、奇妙すぎる風体と、それでいてお抱えの運転手にリムジンで乗りつけちゃう財力に、なんとか説明がつけられるような気が、誰もしたんだろうと思う。
 すんごい金持ちの息子だけど、病弱で滅多に学校に来れない。でも、そんなありがちな設定におさまらないほど、あらためて見れば見るほど、流河旱樹の佇まいは強烈だった。
 つーかまず、流河旱樹って名前がありえない。夜神月と書いてライトといい勝負です。アイドルと同じ名前なのは偶然、なのかなあ。偶然なんだろうけど、不幸な偶然だよね、全国の芸能人と同姓同名の皆さん。流河って苗字がどの程度よくあるんだか知らないけど、旱樹はなあ…ヒデキかあ…でもまあ、本名なんだからしょうがないんだろうけど。どうして天才は珍名なんでしょうか?よくある名前じゃなんかまずい訳でもあるんでしょうか?
 夜神は、どことなくわざとらしい笑顔を浮かべて、「ああ、座れよ流河」と促す。流河は小さな文庫本のようなものを手にしているだけで、教科書すら持っていない。天才さまは教科書なしでも平気で授業受けちゃうんですねー。勉強になりますわー。
「では、失礼して」
 座ったー!!!実況中継!うわ、あの話ってマジだったんだー!!流河座り!!
 流河は踵を踏んでつま先につっかけたスニーカーをころりと脱ぎ捨て、ベンチ型の椅子に裸足の足を乗せ、膝を折る。腰は下ろさないで、ベンチの上にしゃがんでいる格好だ。足が白ーい!!指がほっそい!こういうの、白魚みたいな足の指っつんですか!?絶対違う!キモ!!
 あたしを含む教室の周囲の人間は、皆じろじろと、珍獣を見るような目で流河を見ていた。夜神はまあまだ見た目は普通の範疇だけど、流河のナリは明らかに常軌を逸してる。
 いつも同じ格好らしい、首回りがだらしないんで骨ばった細い体がよくわかる白い長Tに、だらっとしたジーンズ。夜神と違って、オシャレとかそうじゃないとかを通り越してる。
 黒くて硬そうな髪、青白い顔に鬱蒼と浮かぶ濃ゆい青クマ。ありゃーカバマのコンシーラーでも隠せないだろうなー。
 でもなんか、近くでこうして見ると、意外に病人くさくはない。大きくて真っ黒な目が、誰とも似てない存在感がある。あからさまに只者じゃないって感じ。ちょっと圧倒される。
 でも、外歩いたら、職務質問されるよね。無灯火で自転車乗ったら、つかまるよね。いや、自転車乗る流河ってのもかなりシュールだけどさ。

 夜神は流河の奇妙な姿勢にも、まるで動じない。この二人が仲がいいというのは本当らしい。
 テニスの試合でやりあったことは有名だったし、何度かつるんでいるところを目撃されてて、首席同士でお話が合うんでしょーよと妬みのネタになっていたものだった。
「珍しいな、流河が授業に出るなんて」
「私もたまには学生らしくしないと…単位取れませんし」
 何がおかしかったのか、夜神は鼻先で笑う。その笑みには、友人への配慮や思いやりなどというものは、ちらりとも見当たらなかった。
 それがなんだか気になって、つい横目でなく正面から、流河の顔を見てしまった。大きな目とあたしの目がぶつかって、ちょっと気圧される。
 ふいと夜神があたしの方を向いた。流河と目が合って固まっていたあたしを見て、可笑しげに流河に話し掛ける。
「流河、ここででもその座り方やめられないのか?皆注目してるぞ」
「前にも言いましたが、私はこの座り方でないと頭の働きが低下するんです」
 頭の、働きが、低下!!
「低下?」とつい口に出してしまったあたしに、夜神が、なぜか見え見えの猫なで声で言った。
「ほら、この子なんか怯えちゃってる」
 急に話題に出されたあたしがまごまごしていると、流河がひょいと首を伸ばしてあたしを見つめた。
「別に、ただちょっと他人と違う座り方なだけで、誰に迷惑をかけるつもりもないんですが。初めて見た方は少し驚きますけどね」
「まあちょっと、変わってるよな」
 夜神が至極落ち着いた声で言った。それが何だか、やたらムカついた。
 

「いえ、あの」
 気がついたら、あたしの口が勝手に動いていた。
「怯えてなんかないんです。ただ、すっごい頭いいって、いつも噂になってる流河くん、こんなに近くで見たことなくって、びっくりしちゃって」
 あたしの言葉に、流河に対する肯定の響きを受け取ったのだろう。夜神は、ほんのわずか、不快な顔をした。
 その瞬間、確信した。
 夜神は、流河が嫌いなのだ。


 かなりエキセントリックな流河の見た目や行動を、キモいと思わなかったと言えば嘘になる。でも、どちらかと言えば、「怯えちゃってる」という台詞に、夜神になにか自分が「ダシにされた」ような気がしたのが、あたしは断然気に入らなかったのだ。


「夜神くんも、流河くんも、全教科満点で入学なんてすごいなーって。わたしたちとは頭の出来が根本からして違うんだよねーって、いつも皆で話してるんですよー」
「そんなことないよ」
 言われなれてます、という顔で夜神が軽く流す。
「えー、でも、二人とも運動神経もいいんですよね。夜神くんなんか、テニスで全国優勝したことあるって」
 だから細いけど結構締まったいいカラダしてんだよー、とさっき美奈が言ってた。
「昔の話さ。今はもう何もしてないから、体なまっちゃってね」
 嘘こけコラ。どうせ見た目維持のために必死こいてなんかやってんだろ?白々しいんだよ。
 黙っていた流河が、不意に口を開いた。
「私も、イギリスである程度のところまで行ったのは、幼少の頃ですね。夜神くんとの試合では久しぶりにラケットを握りました」
「え!流河くんて、帰国子女なの!?しかもイギリスでテニスなんて、本場じゃないですかー!!」
 本場の意味もよくわからず適当に口にする。
「いえいえ、たいしたことはないですよ。それほど本格的にやっていたわけでもありませんし。それに、ウィンブルドンは有名ですがテニス発祥の地はフランスです。あそこもいいところですけどね」
「フランスにもいたことあるんですかー!すごーい!」
「色んな国を転々としていたもので」
 流河がこんなに普通にしゃべってくれるとは思わず、あたしはつい調子こいて、ベラベラまくし立てた。
「そうなんだー。確かに流河くんて、なんかちょっと日本人ぽくないっていうか、日本人の枠には収まらないっぽいとこありますよねー。じゃー英語ももちろんペラペラですよねー」
「ヨーロッパ圏とアジア圏ならだいたいの言語はしゃべれますよ。他はまだ勉強中で、ペラペラとまでは行きませんが」
 おいおいマジかよ。フカシこかれてるあたし?でも、夜神は真剣そのものな顔で流河の口ぶりを聞いているし、突っ込みを入れる様子もない。
「ほんとですかー!?じゃあ、フランス語も?中国語も?スペイン語も?韓国語も?」
「そのくらいなら、同時通訳ができる程度にはしゃべれます」
「すごーい!!」
 あたしの絶賛の隣で、夜神は眉間のあたりに苦々しい空気を漂わせてる。えっへっへ。たのしーい!
「夜神くんはー、外国語とかしゃべれるんですかー?」
 あたしの攻撃に、夜神は一瞬無表情になる。だが、すぐに当り障りのないうっすら笑顔を張り付かせて言った。
「僕は流河みたいに凄くないよ。せいぜい、英語くらいかな」
 いやーそうですよね。それが当たり前っスよ。英語だけでも凄いっスよ。
「英語だけでも凄いですー。わたしなんか英語苦手でー。それが普通ですよねー。流河くんは特別ですよー」
 一応フォローという名の追い討ちかけといた。そしてちょっと気がつく。夜神の無表情はめっちゃ不機嫌のしるし。
 流河は、とぼけた顔で、相変わらず抑揚のない声で言う。
「英語さえしゃべれれば、ヨーロッパ圏の言語はみんな似てるから覚えるのもそれほど難しくないんですけどね。韓国語はとても日本語に似ていて学びやすいと思いますよ」
 うわー、何かを超越しているアドバイス。こいつ年ごまかしてね?ほんとなんか、スケール違うんスけど。夜神月でさえ、ちょっと負けてる感じじゃん。
「でもー、流河くんてー、そんなに細くってー、運動とかあんまり得意じゃなさそうなのに夜神くんとテニスで互角に戦っちゃうなんてほんと凄いですよねー。文武両道っていうかー、なんか同じ人間じゃないみたい」
「いやあ、結局負けましたしね。夜神くんの方が上手でした」
「流河の腕前も半端じゃなかったよ。勝ったのは運がよかったのさ」
 なんっかこの二人の会話って、芝居がかった感じ。流河の丁寧っていうか慇懃無礼っていうか、独特のしゃべり方もそうだけど(これは帰国子女だからなんだろうけど)、夜神もなにげに演技しゃべりっていうか。台詞読んでるっぽい。「運がよかったのさ」て。何気取ってんだ。


 ふと時計を見ると、授業開始時刻はとうに過ぎていた。教室もざわつき出している。と、教室の前の扉が開いて、助手が入ってきた。
「教授は本日、電車の架線事故でもう十五分ほど遅れるそうです」
 おっしゃ!と内心叫んだ。休講じゃなければ夜神も流河もここを動けない。初めて、教授の授業の開始遅れを神様に感謝した。
「えーそうなんだ…」
 一応しおらしい声を出しておいてから、夜神と、それから流河の方にほんのちょっとだけ力を込めて、小首をかしげ、自分MAXかわいい声をひねり出す。
「あのー、わたしなんかが夜神くんと流河くんと話す機会ないしー、もうちょっとだけお話してもらってもいいですかー?教授が来るまで」
 何言い出しちゃってんだこのブス、とでも言いたそうなあからさまなウザ顔を一瞬夜神が見せたが、流河が「私は別に構いませんが」と言うので(ナイスフォロー流河!)、夜神も渋々、舌打ちしたそうな表情を押し隠して微笑んだ。
「もちろん。僕も、こんな綺麗な人と知り合えて嬉しいな」


 う、わー。
 すごい勢いで堪えたけど危なく横向いて吹き出すとこだったよセーフセーフ。どう反応したらいいやら。ありえねーこの台詞を素面で口にする男。夜神月18才。
 高田。こんな男いいか?マジ、大学デビューで実は自分が結構イケてることに気づいたうら若き女子として、この男ほんとにアリですか?やめた方がいって。悪いこと言わねって。いや、面識ねーけどさ。あんた男見る目ねーよ。
 ちょっと衝撃的だったけど、気を取り直してあたしは夜神に向き直る。
「えー、ぜんぜんそんなことないですー。夜神くんみたいにモテる人にそんなこと言われても、なんか嘘っぽいー。上手ですよねー」
 夜神はまったくもって余裕な態度で応えた。
「別に、僕なんかぜんぜんモテないよ。高校の時は女子の友達結構いたけど、大学じゃ忙しくてあんまり女の子と知り合う暇もなくてね」
 さり気に自慢入ってます隊長!ガリ勉だけじゃないんだぜ、女の子とも普通に遊べちゃってる俺アピール?どうせ高田みてーな、自分頭いいと思ってる、女ウケの悪いお高く止まった女子と乳繰り合ってたんだべ?と適当プロファイリング。末端の女子をナメると結構あとが怖いよ。足すくわれちゃうかもよ?
「そんなのしんじられなーい。わたしたちの間ではー、すっごい夜神くん人気ありますよー?でもなんか近寄りがたいっていうかー、レベル違うっていうかー。高田さんと付き合ってるって話聞いてー、あーやっぱり高田さんレベルじゃないとつりあわないんだーってみんなでガッカリしててー」
「ははっ」
 聞きました皆さん!?今、この人、ははって笑いましたよ!ははって、声に出して!
 うわー、ははって口に出して笑う男、高校ん時の柴田ってキモい生物の教師以来はじめてみましたよー。あーそういえば、夜神の口調って柴田そっくり!「僕は」とか、「ナントカなのさ」とか!ヤベー!マジウケる!
 というあたしの内心の声が聞こえるはずもなく、夜神はちょっぴりご機嫌を直したようだった。自分が女にモテるということを思い出して、自信を回復したらしい。
 タイミングよく、流河が口を挟む。
「夜神くんは、女の子に人気がありますね。わかりますよ。容姿もいいし、頭も切れる」
「流河にそんなこと言われると、気持ち悪いな」
 と言いつつライト様ご機嫌です。わかりやすー。なんだ、こいつもバカなんじゃん。
 うっすらわかってきた、夜神が流河に強いライバル意識をもってること。流河の方はどう思ってるんだか知らないけど、傍目にはスルッと受け流しているように思える。
 夜神は確かに凄いんだろうけど、流河はなんかちょっと、あたしらの物差しじゃ測れないような底知れない感じがある。だって、数ヶ国語ペラペラで、テニスで全国優勝レベルの夜神と、あの猫背のまま互角に渡り合って、しかも同時に首席入学じゃん。プライドがたぶん常人よりも遥かに高そな夜神月には、今まで会ったことのない、自分より上かもしんない人間なんだろうなあ。
 それがなんか、女にモテるかモテないかって低レベルんとこで夜神がご機嫌回復しちゃてんのが超ウケるんですけど。しかも、流河はそれをぜんぜん気にしてないっぽい。そういうとこが、夜神はムカつくんだねーたぶん。うんうん。わかったような振りして心の中でうなずくあたしだった。

 
 あーでも、今日はすっごい面白いもん見せてもらっちゃった!いやー楽しかったっス。
 あと五分もすれば教授着いちゃうなー。おっし。


「夜神くん、合コンとかって、興味あります?」
 不思議そうな目を夜神が向ける。
「あ、もう高田さんと付き合ってるし、ダメならダメでぜんぜんいいんですけどー、飲み会、っていうんでもダメですかー。教養学部の女子、結構カワイイ子揃えてるんですけどー」
 しかし夜神は気のない表情で、あんまり乗ってこない。本当に興味がないのかもしれない。なんかムカつくなオイ。
「わたし初めて幹事まかされちゃってー、夜神くん連れてくる、なんて言ったら、もうみんなすんごいすんごい喜ぶんですけど!夜神くん来るなら、もう他に男子なんか呼ばなくていいくらいの勢いなんですけど!」
「うーん…あんまり時間がないかもしれない」
「ダメですか?ちょっと顔出すだけでも、」
 とここで一拍ためて、あたしはおもむろに、流河に顔を向けた。
「あと、流河くんも!!」


 夜神は一瞬ぽかんとした顔をした。そして、冗談だと思ったらしい、流河に顔を向けて笑いかけた。
「流河も?」
 そう言われた流河も、少し首を傾げた。
「私がですか?合コンに?なんだか、場違いな気がしますが」
「そんなことぜんぜんないです!流河くんも、すっごい女の子に人気あるんですよ!!知らないんですか?」
 驚きのあまりか、夜神の目が一瞬あり得ない大きさに広がった。
 流河はと言えば、別に取り乱したところもなく、相変わらず起伏のない口調で言った。
「それはまったく初耳です。妙ですね、そんな話は聞いたことがありません」
 ぎゃはははは!!!あるわけねー!!だって嘘だもん!!
「夜神くんも人気あるけどー、流河くんはー、なんかミステリアスっていうか…だって頭もいいしー、ぜんぜん学校来ないしー、でもテニスもなんか凄かったりしてー、でも自慢するでもないしー、飄々としてるっていうか…なんかそういうの新鮮で!きっと凄い人なんだよーって、みんなで話してるんです!」
 我ながら結構苦しいかも!と思ったけど、夜神は驚いた顔のままこっそり固まってるし、流河はまったく表情を動かさずに聞いてる。この人やっぱりちょっと変、でも、なんか面白いかもしんない!
「ファッションも、なんかエキセントリックな感じっていうか。薄汚いその辺の男子とは一線画してますよね。流河くんは清潔な感じ」
 よくもまあ思ってもいないことをペラペラと、自分に感心するっちゅーねん。
 もう自棄ですよ!さりげなく手を伸ばして、ぱっと目についた、意外に細くてキレイな流河の指先に、ちょっとだけ手をふれた。
「ほらー、指も長くってー、白くてー、キレイ。器用そうな手ですねー」
 キャー!流河に触っちゃった触っちゃった!なんかひんやりしてる。爬虫類っぽい!あたし爬虫類好きだから平気ー!
 流河は自分の指先を見つめ、独り言のように呟いた。
「意外ですね、夜神くんはともかく私がそんな風に女性に広く支持される要素があるとは思いませんでした。ちょっとこの外見も修正する必要ありかもしれません」
 何言ってんだかよくわかんない!でも、夜神のありえないって顔が気持ちいいからもうこのまま行っちゃおう!
「夜神くんがダメならー、流河くんだけでもダメですかー?流河くんだけでもみんな、すっごい喜ぶと思うんですー。お願いしますー」
 あたしのしつこい懇願に、流河は不思議そうな顔をしていた。
 でも、あたしが横目でチラっと夜神をうかがい、わからないくらいだったと思うけど、かすかに夜神を見て笑ってしまったのに気づいたらしい。
 細くて長い指先を唇にあて、流河は何かに納得したようにうなずく。なるほど、と夜神に聞こえないような小さな声で言い、あたしの目を下から見上げるように見て、人の悪そうな、っていうか、イタズラっぽい顔で、クスリと笑った。

 え、今のでわかっちゃった?嘘、まさかそんなことない、よ、ね?
 

「そうですね。たまにはそんな学生生活もいいかもしれません」
 流河が大きくうなずいて見せた。あたしと夜神が、思わずえ、と言いかけた時。
 さっき来た助手が、また大きな音を立ててドアを開けた。思わず、そちらに目が行く。
「事故の復旧が遅れているそうです。今日は休講になりました」


「ちょうどよかった」
 流河はのそりと椅子から下り、スニーカーを足に突っかけて、あたしを見やる。
「休講になったことだし、このあと時間は空いてますよね?学食でお話でもしませんか」
「え、いいんですか!」
 思わず立ち上がってしまった。夜神はあたしと流河の間で、どうしていいかわからない顔で座ったままフリーズしている。
「ええ、私も日本のそういう催しに参加するのは初めてですが、一度体験しておくのもいいかもしれません。詳しく話を聞かせていただけますか」
「ほんとに!超嬉しいです!夜神くんが来れなくても、流河くんが来れるって言えばみんな大満足です!うわー、早くみんなにメールしなくっちゃ」
「夜神くんは、高田さんとのデートできっと忙しいんですよ。皆さんには残念でしたね」
「そんなことないです!流河くんが来てくれれば!あーどうしよう。超嬉しいー」
 あたしたちは、まるであらかじめ打ち合わせをしていたかのようなわざとらしい言葉を交し合った。わかってる!絶対流河、気づいてる!気づいて乗ってくれてる!なんだ、いい奴じゃん!
「おや、夜神くん、そんなところにいつまでも座っていたのでは、彼女が出れないじゃありませんか。ちょっとどいてもらえませんか」
「…悪い」
 すっかり存在を無視された夜神月は、言葉少なく立ち上がった。その脇をすり抜けて、あたしは流河のもとへ駆け寄る。あー気持ちいい!
「じゃ、行きましょうか」
「はい!」
 くるりと振り向いて、あたしは夜神にちょこんと頭を下げた。
 夜神の顔は、心なしか引きつっていたように思う。わはははは。
 

 流河と歩くと、教室のみんなの視線は、あたしと流河に注がれる。うわー、なんかちょっと結構気分いいかも!
 笑うと流河も結構カワイイ顔してっしね!マジで合コンつれてっても、結構ウケんじゃないかと思う。トボけた受け答えに愛嬌あるし、夜神みたいに自慢たらしくないし。
 廊下まで出て少し歩くと、流河があたしに小さな声で言った。
 

「なかなか、面白かったです」
 やっぱりわかってたじゃん!嬉しくなって、つい声出して笑っちゃったよ。
「あたしもです。…って、あの、流河くんには悪いかもだけど」
 つられて本音を言っちゃったので、気を悪くしやしないかとヒヤリとしたが、流河は一向に気にしていない様子だった。
「いえ、私にも、大変参考になりました。お礼を言いたいぐらいです」
 流河が、口の端をゆがめたような笑顔を浮かべる。参考ってなにが?と聞きたかったけど、なぜか喉の奥で言葉が詰まった。
 では、と踵を返しかける流河に、思わず声をあげた。
「でもあたしは、マジで結構、流河くん好きだけど?…夜神よりは」
 
「それは…」
 立ち去りかけた流河は立ち止まり、少し考えるような顔をした。


「ちょっと、変わった趣味かもしれません」
 ほんの少し傾げた首がおかしくて、あたしはまた、吹き出してしまった。
 

 流河とはそこで別れた。学食に行くと、美奈があたしを見つけて、物凄い勢いで駆け寄って来る。
「ねーちょっとお、*、流河旱樹と知り合いってマジ!?今聞いたばっかりなんだけど、なんか真希がすっごい親しげにしてたの見たってメールくれたんだけど!ありえないんだけどもー!なんで教えてくんなかったのよ!!」
「つーか、あんた授業どうしたのよ。あたしは休講だけど」
「んなことどうだっていいって!なんか夜神とも喋ってたって言うじゃん!ずるいずるいずるい!紹介してよお」
 あー、紹介は、できないだろうなー。まあ、有名人様たちとのちょっとしたニアミスってか。夜神はもう完全頭来てるだろうし、流河はいつ学校来るかわかんないし。でもまあ。


「まあ、そんな焦んなってば。夜神と流河って面白!って話、してやっからさー」

 
 そう言って、美奈の肩をぽんと叩き、あたしはウキウキした足取りで、一般人らしく、食券を買う列に並びに行くのだった。