ゲームという媒体

先日の「腐女子の弟」id:emifuwa:20040822#p1での弟の「主観視点に対する違和感」について、こちらid:takanoe:20040826#1093527852でご意見をいただいたので、弟に読んでもらい、彼の意見を聞いてみました。


以下、弟のメールより引用

主観視点云々なんですが、かなり長文になります。


コメントに書かれていた分析は筋は通ってるし
共感できなくはないです。具体例とかはともかくとして(笑)
ただ、主人公(に限らずキャラ)の作りこみの甘さによる違和感って言うのはギャルゲーに限らず、あらゆる物語において起こりうる現象で、今回俺の感じている違和感とは違うと思う。


俺が感じている違和感って言うのは、ADVゲーム(アドベンチャーゲーム)という形式そのものによるものだと思うんだよね。
仮に、自分がすごく好きな漫画、小説を題材に、主人公の主観視点でADVを作られて、その出来がすごく良くても、この違和感は消えないと思う(もちろん違和感の大小はあるだろうけど)。
たとえば、うしおととらの「潮」はすごい魅力的な主人公だし、俺は大好きだけど。
「うしとら」という予備知識なしで、物語を彼の主観視点で体験した場合、やっぱりかなり鼻につくと思う。「俺はこんなこと言わねー!」ってね。


結局のところ(以下コメント引用)
>ちなみに私はそういう主人公視点のゲームをやるときも、
>主人公に入り込まずに第三者視点で見ています。


これができる体質かどうかってことなのかもしれない。
3D酔いする人、しない人みたいに。
俺は漫画、小説などにおける主観視点とは、適度に距離を置いて楽しめるけど。
ADVにおいては、無意識のうちに主人公と完全に同化しようとして、うまく主人公と自分の距離を取れない人みたいです。
多分、漫画、小説等においては
(そもそも全編主観視点で描かれるものってそんな多くないけど)
読者の視点としては主観でも、物語に干渉することが出来ないのに対して
ゲームにおいては、わずかながらでも読者=プレイヤーの判断で、物語に干渉することが出来るので、「主人公=自分」と「錯覚」しちゃうんだろうな。
実際はTRPGでもない限り、物語を動かすなんてことできないんだけどね。
ただ、ADVでも、主人公をなるべく視覚的にも登場させるとかして、主人公を客観視するよりどころがあれば、主人公と自分の距離をとることが出来るみたい。


ここまでは主人公との同化による違和感について
言ってみればADVゲームという外枠に対する問題


次は主観視点という語り方そのものによる違和感について


前述してるけど、全編主観視点で描かれる作品ってあんまり無いよね?
小説とかなら結構ありそうだけど
主観視点だと主人公の姿が客観的に見えてこないって言うのが、別の意味での違和感、不安感をかきたてているような気がする。
主人公の姿が見えないってことは、自分の姿が見えないってことだからね。
徹底的に語り手である主人公の情報を排して、こういう違和感や不安感を味付けにした叙述トリックのゲームとかあったらそれはそれで面白そうだけど。
多分、小説ならとっくに使われていそうな手法だけど(具体例があげられないけど)


もちろん、普通なら物語中で他者との会話や、主人公本人が語る自己分析、
また、実際の主人公の行動などから少しづつ主人公=自分の姿が見えてくるわけだけど、客観視点で描かれた物語よりもずっと気を使わないといけないと思う。特にギャルゲ、エロゲじゃ主人公より、ヒロインのキャラ描写がメインになりがちだから、主人公=自分がどんなキャラなのかわからないっていう違和感や不安感は大きい。
そこまで気を使った作品は、数少ないギャルゲー、エロゲの経験の中ではまだないかな。
余談だけど、月姫作った会社が作った「fate」は主人公(もちろん男)のエピソードが充実していて、3つのシナリオのうち、ひとつはほとんど主人公シナリオといっていいぐらいらしい。
普通の感覚で言えば、主人公なんだから当然なんだけど
エロゲーとしては非常に珍しい。


まあ所詮エロゲ、ギャルゲだから、女の子だけ愛でていられればいいや、主人公とかどうでもいいし。っていう気持ちもわかるんだけどね。
実際、俺もそういう気持ちが無いわけじゃないし。
だいたい、7人も8人(人数適当)もいるヒロインすべてとくっついて、違和感無い魅力的な主人公作れっていわれても、そりゃ難しいわ(笑)
ただ、ゲームって言う媒体で物語を語ろうとしたとき、
小説、演劇、映画、漫画といった既存のメディアとどう違ってくるのかには前から興味があったので
考察してみました。

と、こんな感じだそうです。どうでしょうかtakanoeさん。
私自身は自分でその形式のゲームをほとんどやらないので、あんまりよくわからないのですが…
しかし、やっぱり何か「ドリーム小説に対する違和感」と同種のものを感じるのですね。物語を前にして、自分をどこに置くかの違いが、それに馴染めるか馴染めないかを決定するのではないかと。
うーん、ギャルゲとか、プレイしてみるべき?でもやるとしたら一作というわけにも行くまいしなー…正直恋愛ゲーはあんまり…興味なくて…


私、「こんなエロゲがあるんだ!面白いなあ!」「これは絵がかわいいなあ!」「これはちょっと痛々しくてダメだなあ」って感じで、男性向けエロゲのメーカーのサイトは実は良く見に行くんですけど。男性向けニュースサイトさんで更新チェックされてるのから、タイトルが面白いやつだけ見に行ったり。どんなのが流行ってるのかなあ、って見るの面白いし。
例としてあげると、内容や絵で気になったものは「陵辱ファミレス調教メニュー」とか(絵もきれいだし、メニューになぞらえたのも面白いし、エロ度もサービス満点っぽくて良さそう)「ふたなり♪ミルクセーぇキ」(ふたなりに特化してるところ)「メイドさんしぃしー」とか裸エプロンな学園とかもなんつーか、潔くていいなあと。その特化具合が。
こうしてサイトを見てるだけの段階だと、「エロ満載!サービス満点!」みたいなのと「ある一点の萌えに特化!これが好きなんだ!」みたいなのに好感を持つ傾向があります。


でもさすがに買ってプレイしたいというほどでは…高価だし…第一、私マックなんだよ、そうだよだから出来ないんだった。思い出した。でも上の三作なんかは、あれば喜んでやるな多分。どんななのか気になるし。


で、エロゲの話はとりあえず置いておいて。


私が考えていたのはまた別のことになりますが。
ゲームという媒体が、同人・二次創作の世界に与えた影響ってかなり大きいのではないか、ということです。


昔はゲームと言えばマリオとドラクエ、という時代もあって、その頃も女性向の同人世界は漫画やアニメを題材にして盛り上がっていたわけですが、徐々に容量も増え、複雑な物語も提供できるようになり、今では同人界でも「ゲームジャンル」は一大勢力です。


RPGに格闘ゲーム、アドベンチャーにシミュレーション、いろんなゲームがあるけれど、漫画やアニメと根本的に違うのは、「自分が動かして楽しむ」ところだと思います。
自分で動かして楽しむ余地があるということは、ゲームの世界では、「原作」と呼ばれるものがユーザーにとって、ただ一つの、確固たる存在ではないんじゃないか(アニメや漫画を原作とするのに比べて)。
もちろん、アニメや漫画の物語の解釈だって人によって千差万別なわけですが、ゲームの場合は更にその自由解釈の度合いが大きい。
響きはあんまり良くないかもしれませんが、「世界観・設定のみを与えられている」感覚がアニメや漫画よりもずっと強く、ユーザーが物語を自分の頭の中で構築する要素が大きいように思えます。


RPGなら、例えばエンドはひとつじゃなかったりする。バッドエンドだったり、いくつかのエンドが用意されていたり、それに至るまでのルートもひとつではなかったり。
どんなルートをたどり、どんな仲間を連れ、どんな魔法を覚え、どんな戦略で臨むかはプレイヤーによって様々。
戦い方や魔法の好みによっては、キャラのイメージもまったく変わってきたりするかもしれません。ある人にとっては「使えない、経験値稼げない足手まといなキャラ」がある人にとっては「使い勝手のいい、戦闘に欠かせないキャラ」だったり。
格闘ゲームなら、まずどのキャラを選ぶか。どんな技を得意として、どのキャラと相性が悪いとか。全部プレイヤーそれぞれ。エンディングの数もキャラごとにたくさんあったり。
どのルートからクリアするか、どのキャラからクリアするか、どんなキャラと過ごし、何を選んでいくのか。
それは製作側が用意したものであって完全な自由ではないですが、プレイヤーによってゲームにおける「原作体験」はかなり異なってくると思うのです。


でもだからこそ、自分で物語を補完する度合いも大きくなるような気がするのです。
自分のことを振り返ってみると、ゲームジャンルの時が一番原作から離れた話を書いていました。かなり好き勝手し放題でした…
書き手からすると、自分で好きなようにキャラの設定や世界観を補完しやすい、その上でいろいろできるという利点がある。


読み手からすると、ゲーム内のエピソードを積極的に描いていくタイプの作品と出会うと、ゲームをやっている時の楽しみや苦労を共有することが出来ます。
あのダンジョンなかなか抜けられなくて苦労したー、ってところを、二次創作漫画でキャラがへばっているところを描写されれば、あーあそこそうだったよなーって気分になりますよね。
これって、単に受動的に原作を読んでいる状態で二次創作を楽しむよりも、
何か一歩、踏み込んだ楽しみがあるんじゃないかと、ちょっと思ったのですね。
だいたい、画面の中ではキャラがへばっているところは描かれない。キャラはどんなにXダッシュさせてもへばりませんから。へばるのはプレイヤーであって、コントローラーを握ってした苦労を書き手と共有しているわけです。
そういう「共通の記憶」をなんとなく共有しているうちに、アニメや漫画の二次創作パロディには興味のなかった人でも、ゲームの二次創作パロディには馴染みやすい、といった感覚が生まれるのではないでしょうか。


弟がたぶん一番最初に親しんだパロディ作品は「ドラクエ4コママンガ劇場」(通称ドラクエ4コマエニックスから出てました)です。あの本からゲームパロディ好きの道を歩みはじめたゲーム好き男子・女子は多そうな気がする。
発行日を調べてみたら、「ドラクエ4コママンガ劇場」の1が1990年四月に発行されております。弟が八歳の時?
私はドラクエを一度もプレイしたことがないのですが、結構楽しんで読めてました。描き手のレベルが高かったと思います。


だから、ゲームジャンルの、商業で出している四コマアンソロジーとかで二次創作パロディ面白い、好きだってなって、面白いのを描いている人を即売会で追っかけたら女性向け二次創作だった…っていう、うちの弟みたいな「やおい別に平気」男子は結構多いんじゃないかな、とふと思いました。もちろん、嫌な人もたくさんいるだろうけど。女子でもやおいネタ嫌いな人はたくさんいますし。


弟が好きな女性向けの同人作家さんも、ゲーム系の人が多いです。
商業で仕事をされている有名どころから例を出すと、ぷにこさん、佐倉ケンイチさん、小林アヴ子さん、ゲーム系ではないですけどイシカワナナエさん、などが弟のお気に入り作家さん。
共通するのは、絵が上手いこととギャグが面白いことですね。特に皆さんギャグの力が凄い!だから弟も男同士ネタだろうと面白いから構わず読んでゲラゲラ笑っているのだと思います。


そんな感じで、私の思った
漫画やアニメを原作とするものと違う、ゲームジャンル同人の二次創作を読む楽しみは


1.ゲームをしている時の楽しみや苦労を共有できる
2.ゲームの設定を補完して面白く読ませてくれる


2は漫画やアニメの二次創作でもありだけど、たぶんゲームの方がその度合いや作家のオリジナリティが前面に出る傾向がある。
1はゲームジャンル特有のものではないかと思います。
で、1をとっかかりにして、2を楽しむことのできる人が
増えたんじゃないかと思うんだけど…(そしてそこでまた同人人口がガッと増えた)
どうでしょうか。
(逆に、ゲームをプレイしないで「好きな作家さんが描いてるから」「キャラが好みだから」同人ハマりという腐女子も少なからずいるわけですが)


という意見を弟に簡単に話して聞かせたら

で、ゲームジャンルの2次創作に関してなんだけど、
確かに、ゲームジャンルは非常に創作の幅が広くて
作家の個性が出やすい、そういう意味ではいいジャンルだと思う。
ラグナロクオンラインとか、β版の時ちょっとやってみたけど
特定のストーリーも、キャラクターも無いから
正直どんなパロディか全く想像出来ない。
でも同人とか、アンソロとか多いね。
ほとんど完全な創作ジャンルといえるかも。
でも、前言ったみたいに、誰かうまい人が2次創作を作れば
それを元に3次創作とかが出来るかもしれないし、
ジャンル全体で創作していく感じも面白いかもしれない

へー!!
ラグナロクオンラインに関してはまったく知識がないんですが、
世界観だけが与えられている感じなのかな?
「でも同人とか、アンソロ多い」のかー。どんなんなんだろう。